藤原かずえ氏の4/22付けアゴラ記事「島田雅彦氏による幼稚な弁解:自称リベラルの反リベラリズム」へのコメントです。
プロレスの世界では、「反則もルールの内」という言葉がある。ビジネスの世界でも、「向こう傷は男の勲章」などという人もいたくらいで、合法か違法かよくわからない部分で、違法と判断されることを恐れては、新しいチャレンジの可能性を失う、違法とされることを恐れるな、という考え方も普通にあるのですね。
その他にも、米国憲法に銃所持の自由を認めているような、武力革命の権利は基本的人権の一つという考え方もある。だから、「アベガー」などと騒いで何一つ有効打を与えられなかった人から見れば、銃をとって一撃で仕留めた人間を英雄視する気持ちもわからないではないし、これを正当化したいのもわからないわけではない。
でもそれを言うなら、浅沼稲次郎暗殺も肯定しなくちゃいけないし、朝日新聞記者を射殺した赤報隊を名乗る人たちの行動も称賛しなくちゃいけない。特に朝日新聞は、我が国の誇りを大いに傷つけた人たちであるゆえ、天誅を下す理由は山のようにある。
だからと言って、第二第三の赤報隊に、次の攻撃を仕掛けよと檄を飛ばすつもりはさらさらない。天誅を人為で下すのは、天に背く行為でもあるわけだし、アベガーが効果ないから実力行使を称賛するのは、己の主張が民衆に受け入れられていないことを認める行為なのですね。
島田雅彦氏の場合も、アベガーが負け犬の遠吠えとわかっているから暗殺犯に敬意を払うわけで、よく考えてみれば恐ろしくみじめで悲しい物言いなのですね。言論人の敗北宣言といいますか。それがわかれば、お互い、つまらないことは止めたほうが良い。右も、左も、ということですよ、もちろん。
暗殺せ●