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朝日新聞はなぜ終わったか

倉沢良弦氏の4/27付けアゴラ記事「『論座』を閉じたのは朝日新聞の終わりの始まり?」へのコメントです。


このタイトル「『論座』を閉じたのは朝日新聞の終わりの始まり?」ですけど、口の悪い人には「とっくに終わっている」といわれてしまいそうですけど、1989年が朝日新聞の終わりの始まりであったとするのが良いように私には思われます。

別のコメントにも書きましたけど、1989年に朝日を襲った悲劇は、4月の朝日新聞珊瑚記事捏造事件、6月に天安門事件、11月にベルリンの壁が崩壊などがあったのですね。慰安婦捏造記事の訂正を迫られるには1/4世紀ほど後となるのですが、己の信用を失い、心を寄せる中国に裏切られ、資本主義から共産主義への移行という歴史的必然性が否定される。朝日新聞とここに集う進歩的文化人にとっては、往復びんたを食らうような一年でした。

でもこれ、単に共産主義や朝日に集う文化人の失敗というわけではないのですね。もっと大きな人類思想史の流れがあり、理性からそれ以外の知的機能(カントの言う『悟性(understanding)』)へのシフトという時代がそこにありました。一方では、非論理的な日本的経営が賞賛され、数値化困難なヴァリューだとか満足度などが経営学の課題にもなるのですね。

論理なりイデオロギーの終焉は、一方に共産主義の行き詰まりがありましたが、他方には欧米の大きな物語の行き詰りをベースとする「ポストモダン思想」の高まりがありました。

ポストモダン思想は、理解し合える小集団への帰属のような処方箋を示すにとどまるのですが、人間精神の大きな部分は理性以外の部分であるとの認識も進み、カントやフッサールの主張に回帰せざるを得ない。そんな時代にあって、イデオロギーを議論することには、虚しさしかない。それを朝日もわからなくてはいけません。


1980年代の後半から1990年代にかけてゲーデル、エッシャー、バッハが注目されたことも象徴的でした。この書物、天才たちの思考をトレースしようというものですが、結局のところ、理性はあてにならない、ということでしょう。

この本、日本語版は少々お高く、英語版のペーパーバックが半値近いお買い得なのですが、なにぶん英語ですから、それなりの覚悟はいるでしょう。でも、ダジャレ満載の書物ですから、日本語に訳してしまうと持ち味は半減してしまいます。我と思わん方は、英語版に挑戦してください。

1 thoughts on “朝日新聞はなぜ終わったか

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