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名人(天才)の理性を上回る知恵

白石和幸氏の5/8付けアゴラ記事「一国の総理は名人でなくちゃいかん」へのコメントです。


引用の引用(故升田幸三名人のことば)ですけど

上手というのは頭が良ければその段階まで行けます。ところが、名人というのは頭が悪くてはいかんけれども、しかし良いだけじゃ成れない。

このあたりまで参りますと、『天才』と『秀才』の差ということになりそうです。つまり、秀才というのは、既存の知識をたくさん頭に叩き込んでいて、それをさまざまに応用できる人、AIにたとえれば知識ベース型の推論エンジンの様なものですね。

秀才のレベルには、一定の頭の良さを持つ人が勉強をすれば到達できる。だけど、既存の知識ではない、新たな知識を獲得することはできない、それには、理性以外の知性が必要なのですね。これは、カントが指摘したことですけど、石井淳蔵氏も、彼の著書「ビジネス・インサイト」の中で「言語化できないもの、論理として意識される以前の、暗黙の認識が重要である」と主張いたします。

じつは研究でも、理性を超えた才能が必要で、江崎玲於奈氏は彼の講演の中でこれを「テイストの良さ」であると言います。そして、「どうすればテイストの良い研究者になれるか」との質問に対して「テイストの良い研究者の下で研究することだ」と回答されたのですね。

じつは、上に引用した「ビジネス・インサイト」の中で、石井氏は「研究者が研究対象に『棲み込む』ことが重要」であると述べます。そしてその力をつけるためには、ケーススタディを推奨するのですね。まあ、江崎氏の解と似たような話です。ちょっと、堀江氏ご推奨の寿司アカデミーの限界が見えてくるようでもありますが、「名人」のレベルまでを要求しないならそれもOKということでしょう。

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