長谷川良氏の5/30付けアゴラ記事「ペンテコステと『7000の言語』の世界」へのコメントです。
現存する言語が統合されれば、神が創造したロゴスが蘇生するのではないか。具体的には、7000の言語を統合した暁には「バベルの塔」前の世界に戻り、神の世界を今以上に理解できることになる。神が創造した直後、世界を覆っていたロゴスの世界に戻ることになる。
言語が統合された暁には、神の概念は消え去るのではないかと思いますよ。まあ、神の概念を消し去らずして言語の統合はあり得ない、といった方が良いかもしれません。
神という存在は、ロゴスの袋小路に至った人たちが考え出した概念で、それで袋小路を突き破る、裏技と言いますか、反則のようなやり方なのですね。少なくとも理性にとっては。でも一方で、神を生み出したのは理性だという矛盾がある。
人類の精神的な進歩は、理性の限界を知り、理性以前の精神機能に光を当てる方向に動いている。その嚆矢はカントであり、ニーチェであったわけです。だからハイネは「カントは神の首を切り落とす」と書き、ニーチェは「神は死んだ」と宣言したのですね。もう神様のことはあきらめてください。
理性以前の世界に神は要らない。少なくとも、言語化された概念は要らないわけで、山の頂や大木に神聖なものを見出すことはあっても、これを教義に昇華する必要はない。教義などというものは、百害あって一利なし。これはインドの現状を見ればよくわかります。そして理性以前の世界を生きる人たちが、人類の知識世界を切り開いている。その現実に目を向けなくてはいけません。
5/31:自分で返信を入れておきました。
言語の統合ですけど、一つ思い出しました。
ところで、旧約聖書の「創世記」第11章には「バベルの塔」の話が記述されている。神の戒めを破った人間たちが神のようになるため、天まで届く高い塔を建設しだした。当時は「全地は同じ発音、同じ言葉であった」という。そこで神は建設している人間たちの言葉を混乱させて、意思疎通できないようにさせた。
この、「全地は同じ発音、同じ言葉であった」と言われるその言葉ですが、キリスト教の教義によれば、神がエデンの園において人に授けた言葉が古代ヘブライ語であったとされております。(サイード著「オリエンタリズム(上)」(下)など)
ところが、西欧世界の東方理解が進むにしたがって、イスラエルに文明が花開くはるか以前から、エジプト、アラブ、インド、中国に巨大な文明が存在してそれぞれに言葉を持っていたことが、西欧世界にもわかってきたのですね。
結局のところ「神のロゴス」を蘇生させるためには、アジアアフリカの人びとを全滅させるしかなさそうです。もちろん、そうせよと言っているわけではなく、無理じゃないですか、というのが私の偽らざる心境です。
あらゆるホモでサピエンスが勝ち抜いたのは宗教のおかげらしいね。
ハラリ氏によると