長谷川良氏の6/7付けアゴラ記事「社民党党首選の『スーパーガウ』」へのコメントです。
オーストリアを馬鹿にできませんよ。日本だって似たようなことをさんざんやっていますからね。マイナンバーカードの入力データ入れ間違えや、非正規データをそのまま受け入れてしまうというのは、システムなり、それを扱う人間に問題があるからなのですね。【オーストリア社民党≒日本政府】というわけだ。政府がやらかすのは、社民党よりもっとひどい、ともいえます。
まあ、我が国行政府の情報機器を扱う能力の不足は今に始まったことではない。「消えた年金」の時は、もっと大規模に起こっているのですね。
我が国官庁が、救いがたい無能にみえるのは、おそらくは彼らの『無謬主義』にある。特に情報システムなどの近年誕生した(そして急速な進化を遂げた)技術は、導入直後には多数のバグが内包されていることぐらい、あたり前なのですね。
情報システムを開発する際、ウォーターフォール・アプローチとプロトタイピング(アジャイル)・アプローチの二つがあります。前者は、開発のそれぞれの段階で、問題点を完全につぶしてから次の部分の開発に進めるという方式で、ソフトの品質は高いけれど、大規模なシステム開発は容易ではないのですね。で、後者は駄目なら前の段階に戻ってやり直す。
しかしながら、無謬主義がしみ込んでいる人たちには、プロトタイピング・アプローチはできない。間違えなければよいだろう、との心の声があるかもしれませんけど、現実にはミスの連発。結局のところ、このやり方ではシステムはできない。これを外部から評価すれば、『ただの無能』ということになるだけです。まず、無謬主義を捨てること、ここからデジタル化は始めなくてはいけません。
まあまあ