潮匡人氏の6/20付けアゴラ記事「俗悪なパシフィズムが覆う番組:NHK『ヒューマンエイジ 人間の時代』」へのコメントです。
「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない」はチャンドラーの探偵小説の言葉ですけど、ブルマとマルガリートはその著「反西洋思想」の中で、「知の西洋に対して魂の東洋」という対比をいたします。知は目標に至る筋道を与えることで物質的な価値を生み出し、生活を豊かにするのですが、正しい目標は魂が与えます。知は「幸せになる道」を、魂は「幸せであるにふさわしい道」を教えるわけです。
東洋人である(というより、「究極の東洋人」といった方がよさそうな)日本人は、正しい目標を重視し、そのための手段を軽視しがちです。でもそれでは幸せにはなれない。正しい目標と、そのための手段(「強さ」、ですね)の双方がなくちゃいけない。あたりまえの話です。
そういえばギリシャ人も言ってましたね。「健全なる精神と健全なる肉体」と。これ、「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」といった肉体賛美の言葉としてとらえられがちですが、元々の言葉は前者、つまりその双方を望む言葉であるという理解が正しい。後者では、今日、少々ポリティカルコレクトネス的に問題があります。
で、この先は「蛇足」ともいうようなお話ですが、正しい目標は大いに議論したらよい。だけどこれを実現する手段を軽視するのはナンセンスだ、ということ。手段は手段で大事なことなのですね。
こんな当たり前の話を理解できない人間がいることが、理解し難い。不思議ですね。
ぱし。。ぱし。。