コンテンツへスキップ

馬鹿は馬鹿で、十分に幸せ

永江一石氏の8/2付けアゴラ記事「驚愕!! 偏差値35以下(知能指数76以下)は6.7%もいる。」へのコメントです。


馬鹿に関する古典的名著であるホルスト・ガイヤー氏の「馬鹿について」の最後には、「エピローグに代えて」と題して、ウィーンの喜劇作者ヨハン・ネストロイ氏の短文が掲げられております。これを以下に引用しておきます。

愚鈍は一般に知恵よりも多くのしあわせを約束するものであるから、知恵を求めるのはすでに半ば愚鈍におちいるわざである。利口者は、ああわれおろかなりせば、といくたびほぞを噛んだことだろう! ところが愚か者は、利口になりたいなどとは夢にも思わない。元来彼は自己の馬鹿さ加減に安住している。そうしてこの安住がすでに一種の至福なのである――他方、物知りと利口とはことごとに頭痛の種となるばかりで、全く取柄がない。

愚かであるということは、それ自体幸福なのであって、利口になりたいなどと考えるのは愚かなことである、というわけですね。まあ、これを実践しようというのも、それはそれで愚かなことですから、ご注意を。

映画「フォレスト・ガンプ」は、「幸せな馬鹿」を描いた作品であるとも言えるでしょうし、禅の大家であられます鈴木大拙師の重視する「妙好人」(学がなくただ一向に信仰の道に励む人)なども似たようなもの。理性の重視は近代化の生んだ病かもしれません。

1 thoughts on “馬鹿は馬鹿で、十分に幸せ

コメントは停止中です。