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リベラルと個人主義と正義原則

岡本裕明氏の10/7付けアゴラ記事「リベラルってなんだろう?:他者に一定の敬意を払うことで成立するもの」へのコメントです。


アメリカ民主党はリベラル、岸田首相はリベラル寄りと言われますが、リベラルとは民主的制度に守られた経済や市民生活であり、自分と相違する他者に一定の敬意を払うことで成立します。

そもそも自民党はリベラル・デモクラティック・パーティーですよ。日本語でも「『自由』民主党」。きっちり『自由』が入っているじゃありませんか。

逆にその他の『民主』入りのリベラル・パーティーが、じつはカッコつきの「リベラル」というべき人たち。本物のリベラルからは隔たった、社会主義なり、実のところはマルクス主義、コミュニズムのくびきから解き放たれていない人たちだったりするのですね。

本物のリベラルの話を始めると長くなってしまいますが、要は、「個人主義」とオーバーラップする概念で、自らの自由意思を最大限尊重するし、他人の自由意思も尊重する、そして、正義原則といいますか、他者の権利を尊重し、共に生きるこの社会を良い方向にもっていこうとする、そういう市民としての果たすべき役割を重視する考え方なのですね。

ロールズに言わせれば、己が卓越性を目指して努力することは義務であるし、個人の卓越性は社会にとっての公共財と考えなくちゃいけない。結構厳しいものがありますが、そうしてこそ、人は他者の尊敬を勝ち得るのでしょう。まあ、他人の優れた点を認めようとしないへそ曲がりは、いつの世にもいるわけですが。

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