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1世紀のユダヤ属州地図のガザ

倉沢良弦氏の10/12付けアゴラ記事「第三次世界大戦の本質とは宗教戦争である」へのコメントです。


少なくとも1967年に引かれた国境線は維持されている。見え方は人により違うが、イスラエルなりの共存のあり方なのだ。

Wikipediaの「バル・コクバの乱」の項には1世紀のユダヤ属州の地図が掲げられているのですが、驚くべきことに、今のガザ地区がほぼ同じ形で書かれているのですね。

ユダヤ属州は新約聖書の舞台ともなっている土地なのですが、かの地のユダヤ人は、ローマ帝国の支配下にあった。ローマ支配へのユダヤ人の反乱は1世紀にもあったのですが、最終的に132年から6年続いたバル・コクバの乱に敗退し、ユダヤ人はとことん弾圧され神殿も破壊され、ユダヤ属州はシリア・パレスチナになってしまう。

それが1800年後に元に戻る。まあ、感動的な物語ではあるけれど、1800年もたっていれば、この地にパレスチナの民が根付いてしまうことも当然の話。どっちがいいの悪いのといってみても始まらないように思うのですね。

とはいえ、音楽会に武装した軍隊がなだれ込んで大量殺人や民間人拉致などを行うのは普通ではない。その後のイスラエルのガザ空爆も普通ではないけれど、米国流にみれば「やられたらやり返す」、ムスリム流では「目には目を」ですからしょうがないのかもしれない。とはいえ、こちらはどっちもどっちですから、早期の停戦を実現するのが一番。さしあたりは1世紀の国境線でも認められたガザの安堵をしなくちゃいけません。

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