コンテンツへスキップ

大量国債発行は1995年が嚆矢

中村仁氏の11/4付けアゴラ記事「財政金融の共同作業なくして異次元緩和の出口なし」へのコメントです。


アベノミクスによる大量国債の発行、

これはミスリーディングな書き方です。国債発行残高の推移を見ていただければ、1975年あたりから徐々に増加し、1995年以降に増加速度を速め、その後は今日に至るまで一直線に増加しております。1975年といえば、オイルショックと円高の始まり、1995年以降は、ドル円は(円高のままで)フラットになったのですが、我が国は情報革命の波に乗り損ない、長期にわたる景気停滞が続いたのですね。

この景気対策として、国債を発行して公共事業を起こす。これは、教科書通りの対応ではあったのですが、一方で、我が国産業の国際競争力が低下し、GDPが全然伸びない。借金をするというのは、短期勝負であり、本来は収入を伸ばす対策を打たなくてはいけなかった。これには、国民にある程度の犠牲を強いることとなり、不人気政策であるがゆえになかなかとりにくい。しかし、そろそろやらなくてはいけない頃合いです。

日本の産業の国際競争力を増すためには、一つは低コスト体質に切り替えること。国際的に見れば、円安が手っ取り早いのですが、要は、日本の人件費を下げることで、国民の痛みもそれ相応にある。もう一つは、技術力を高めることで、まずは、乗り遅れていた情報革命にきちんと乗ること、そして、産業技術面、ビジネスモデル面で世界をリードすることです。

これには、先端技術を身に着けた人に指導的役割を与えること。こちらも、古い人たちには痛みがあり、なかなか実施には移せないのですが、これをしないことには、日本人は幸せにはなれない。どこかで、エイヤッとやるしかありません。


画像クリックで引用元にジャンプ

レポートもご覧ください。

1 thoughts on “大量国債発行は1995年が嚆矢

コメントは停止中です。