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上質のミステリー:魏志倭人伝

八幡和郎氏の12/6付けアゴラ記事「魏志倭人伝の卑弥呼より倭の五王こそ古代史の鍵である」へのコメントです。


魏志倭人伝の卑弥呼より宋書の倭の五王の方がよほどたしかであるというのはその通りでしょう。だけど、よくわからないからこそ、いろいろ考える余地があって面白い、という側面もありますし、古いものには古いだけで価値がある、という面もあります。卑弥呼は卑弥呼なりに、魅力的な人物なのですね。

邪馬台国について考えるとき、いろいろと正常な思考を阻害する要素があり、これを意識して押さえなくてはいけないのだと思います。一つには、地元びいき的な感情があり、九州の人が九州説を押し、関西の人、あるいはそれ以東のひとも畿内説を押しがちです。

また、中国の文献を絶対視する人がいる一方で、記紀に書かれた事柄が間違っているなどという主張はし辛いという心理的な圧力も働きます。魏志倭人伝にしたところで、狗奴国の官「狗古智卑狗(クコチヒク)」は、魏略逸文では「拘右智卑狗(クウチヒク)」としており、『古』と『右』の転記ミスがあったと思われるのですね。そして、クウチヒクなら、河内彦であるかもしれないし、傍国30国の内の「躬臣(クウシ=河内?)」の人物かもしれません。

記紀にしたところで、これが書かれた理由の一つは、各氏族の自称する系図が互いに矛盾しており、これを調停する目的があったわけで、各氏族の思惑、利害関係入り乱れた結果の産物。それが正しいものであるかどうかなど分かったものではない。

というわけで、魏志倭人伝の特に固有名詞には誤りがある可能性を認め、記紀にも虚偽の記述があることを認め、互いに調整を加えていけば、双方の一致も見られるかもしれません。たとえば、「都市牛利」を「都市牟利」の誤記と考えればそれは田道間守であるやもしれず、その上司とされる「垂仁天皇(イクメイリヒコ)」は、邪馬台国の筆頭の官「伊支馬」に対応するかもしれない。まあ、そんなことを考えるのも、面白いのではないでしょうか。


このテーマに関しては、「俯瞰:邪馬台国」としてまとめております。こちらもご参照ください。(その1その2その3その4その5その6その7

1 thought on “上質のミステリー:魏志倭人伝

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