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高い評価を受けるのも考えもの

黒坂岳央氏の12/15付けアゴラ記事「評価と実力は別である」へのコメントです。


評価はローカル、実力はグローバル、などと割り切りたいところですけど、コンピュータ言語みたいに簡単に割り切れるものでもないですね。現実の世界は、狭い世界から広い世界まで、グラデーションがついている。その中で、どのように評価されるかが勝負、ということではないでしょうか。

サラリーマンの実力にしたところで、直属の上司が評価することは当然ですけど、じつは、その他の多くの人によっても評価されている。取引先やお客さん、学会関係者などもありますし、直属の上司以外の社内の人びとからも評価されている。

そして、評価における最大の問題は、己の能力を相当に上回る人の能力を評価することは難しい、という問題なのですね。駄目な上司は実力のある部下を正当に評価できない。でも、人は多くの人から評価されているわけで、「あなたも苦労されてますね」なんて見方をされることになる。

無能な上司からでも、高い評価を受ければ給料が上がるかもしれない。でもそれは、頼りにされるということで、飼い殺しになる運命に甘んじることになるかもしれない。無能な上司には、低い評価を得て一時的に不利な扱いを受けようとも、嫌われるくらいがちょうどよいのかもしれません。まあ、低く評価する人間を抱え込む理由はないわけで、他からリクエストが来れば出してもらえる。ラッキーです。

会社が傾いた時、割増退職金を付けて希望退職を募集する際、退職希望がすべてかなうわけでもない場合もあるのですね。会社が認めたものしか、有利な条件では退職させてもらえない。そんなときに、すんなり退職するためには、あまり高い評価を受けておかない方が良いかもしれません。沈みゆく船と運命を共にするのは、美しい行為かもしれないけれど、やってみたいとは思えない。普通そうだと思うのですが。

1 thoughts on “高い評価を受けるのも考えもの

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