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何事によらず、大事な「遊び」

音喜多駿氏の5/12付けアゴラ記事「『外遊』って呼び方が誤解を招く?れいわ山本太郎代表にもブーメランが…」へのコメントです。


そして一部野党からは案の定、「海外に遊びにいくより◯◯(被災地復興等)の方が大事だ」的な批判が巻き起こっています。

ほとんど小学生ですね。字面に反応するとは。そういう人は、名前と所属をきっちり晒さなくちゃいけません。野党だって国会議員なんだし、貴重な税金から歳費をもらっているはずなのですね。

「遊び」というのは、じつは、重要な意味がありまして、機械設計の世界では、「遊びのない機械は動かない」などと言われております。どんな機械もある程度のクリアランスが必要。それ以前に、公差というものがありますから、遊びを設けておかなくては、組み立てることすらおぼつかない。

ATMや切符の自動販売機は、遊んでいる機械があることが理想的です。遊んでいる機械があるということは、お客は待たずに機械を使うことができるのですね。客商売は、お客の満足度を上げることを考えなくてはいけないのだけど、「稼働率を上げろ」などと訳の分からないことを叫ぶ馬鹿が稀におりまして、サービスが最悪になったりいたします。そういえば、みどりの窓口でどうとか、誰か書いていましたね。

そういえば、鈴木敏夫氏が「仕事道楽」という本を書いて宮崎駿氏に怒られたなんて話もありました。まあ、宮崎氏もどちらかといえばまじめな左翼の系譜ですので、一部野党と似たセンスをお持ちなのかもしれません。でもそもそも、アニメづくりなどというものは、半分遊び・道楽でなければ、良いものは作れないような気も致します。そういう意味では、海外の要人と良い関係を作るためには、遊び的要素もある程度は必要なのかもしれません。

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