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「国債大量発行」の効果と限界

永江一石氏の5/17付けアゴラ記事「国債発行がダメなのではない。バラマキがダメなのだ」へのコメントです。


「日本の国債の増加とGDPはまったく連動していない」ということですが、GDPが増えないから国債発行残高も増え続けた、というのが実情です。国債発行残高は、1995年頃より急増しているのですが、これは、円高不況対策として行われたのですね。我が国が不況を脱出してGDPが増加に転ずれば、国債の発行など止められたのですが、GDPは全然増えない。だから、国債の大量発行がずっと続いてしまった、というのが実際のところでしょう。

では、国債の発行は無駄だったかといえばそうでもない。1985年時点で大問題となっておりましたのが集中豪雨的輸出で、我が国の電機・自動車産業が絶好調である一方、海外の産業に深刻なダメージを与えていた。で、プラザ合意で円高に転ずるのですが、その時政府がとった対応が「外需から内需へ」という経済政策の転換だったのですね。少なくとも、国債の大量発行で得た資金で、政府は公共事業を盛んにやった。だから、失業率も抑えられたし、倒産件数も抑制されたわけです。

国債発行残高の増加は問題視され、小泉行財政改革で政府の無駄な出費にメスを入れようとした。現にこの後一時的に、国債発行残高の増加にブレーキがかかったのですが、リーマンショックへの対応で、元の木阿弥になる。さらに悪いことには、民主党政権が「コンクリートから人へ」のスローガンのもとに、公共投資ではなく、キャッシュを国民に直接供給するようになった。この結果、我が国の建築部門の機能が大きく損なわれてしまったのですね。

振り返ってみますと、国債の大量発行が国内景気改善に及ぼす効果は限定的でした。なにぶん、公共投資により国内にキャッシュが供給されるのですが、一方で、国債の大部分が国内で買われ、国内のキャッシュを吸収してしまう。マネタリーベースは増加しないのですね。

マネタリーベースの増加は、日銀の資産買い入れ(と対価としての銀行券供給)により初めて生じました。これがアベノミクスの本質だし、黒田日銀総裁の功績ということになります。これにより、デフレ傾向と極端な円高にはブレーキがかかった。しかし、我が国の産業界が強くなったわけではない。30年の停滞の重みが今日の円安傾向となって表れているのでしょう。この対応は、我が国の産業を強くしない限り、円安傾向に甘んじるしかない。それが現実というものです。


5/18追記

なお、以下の考え方は駄目ですよ。

社会保障もバラマキも消費だけで投資にならんのである。投資というのは将来何倍にもなって帰ってくるものをいうわけで、国民に10万円撒いたら将来50万円納税してくれるのかということである。

医療も同じで、長生きさせて認知症になっても管に繋いで100歳超えていきさせるのに数千万円の税金を投入して、将来何倍にもなって帰ってくるのか。否である。

医療も年金もバラマキも一時金もみんなコスト。ここに借金して投入しても経済は伸びるわけがない。国債発行するなら将来何倍にもなるものに投資しろ。

政府の責務の一つは、国民の福祉厚生がありまして、損得勘定で弱者切り捨てなどをいたしますと、これは、ナチスの優生思想と同じになってしまいます。

ナチスが1939年から敗戦までの間に行いましたT4作戦は、精神障がい者・身体障がい者を強制的に安楽死させる政策で、およそ10万人がこの犠牲となっております。

これと同種のことをやったりいたしますと「人道に対する罪」に問われて、下手をすると絞首刑に処せられてしまいます。桑原桑原、です。

1 thoughts on “「国債大量発行」の効果と限界

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