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科学と矛盾しない、神のあり方

長谷川良氏の5/25付けアゴラ記事「21世紀の悪魔祓い(エクソシズム)」へのコメントです。


この自然科学の発達した時代に、まだこんなことをやっているというのは、驚くべきことです。しかもそれがヴァチカンという、欧米の精神的よりどころから発せられているのですから、事態は深刻であるようにも思われます。

ただ、多くの自然科学者は、この手の言説をそのまま受け入れているわけではない。もちろん、自然科学者の多くも神を信じているのですが、それは、もう少し穏当な、つまり自然科学とも矛盾しない考え方なのですね。

一つの考え方は、「設計者としての神」というもので、神は最初にこの世界を創造した、その時、物理法則も神が与えられた、というものです。こう考える物理学者は、物理法則がかくも緻密にできていることに驚き、神の偉大さに敬服する、というわけです。

もう一つは、形相としての神、あるいは属性としての神で、たとえばコミック誌を読むとき、そこには魅力的なキャラクターが描かれ、感動的な物語が展開されるのですが、これは、アリストテレス流に言えば「質料(ものを構成する物質)ではなく形相(物の姿かたち)」、デカルトに言わせれば「広がりとしての実在ではなく、人の心の中に生じる属性としての実在」、今日の知的財産法理によれば「紙やインクという有体物ではなく、これに固定された表現という無体物」というわけですね。

私も、無体物としての神を信じることは悪いことではないと思います。それは、「真理(神)は人の心の内に宿る(アウグスティヌス)」ということであり、世界を見た人が、それぞれ、神を知ればよいということ。他人に強制したりするものではないのですね。これもまた、カント的世界観を受け入れないと、なかなか、実感しにくいのかもしれませんが。

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