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なぜ『ユダヤ人』は嫌われるか

長谷川良氏の6/6付けアゴラ記事「なぜ『左翼』はイスラエルを憎悪するか」へのコメントです。


ユダヤ人がローマによって故郷の地を追われ流浪の民となったことは、悲劇としか言いようがないし、彼らが頼れるものは金しかないと考えるのも無理はないことだったのですが、それが行き過ぎてしまい、ヨーロッパ中から嫌われた、ということでしょう。

ヨーロッパを支配したキリスト教では、イエスの言葉「金持ちが天国に行くより、ラクダが針の孔を通る方が楽だ」にみられるように、清貧を旨としておりました。そんな世界に流れ着いたよそ者が蓄財に励めば、それは嫌われる。洒落好きなイエス様ですけど、日本語でしかわからない洒落は私の変形によります)

シェークスピアの「ヴェニスの商人」にしても、冷酷なユダヤ人の金貸しがコテンパンにやられるお話ですし、こういった物語が受ける背景にはユダヤ人に対する嫌悪感があったのだと思いますよ。

もう一つの問題は、ユダヤ人の選民意識があったことで、これはどんな宗教にも多かれ少なかれあるのですが、異教徒を馬鹿にする。まあ、宗教的対立がある以上、異教徒は冷たい目で見られる。特に自らの宗教に拘ればこだわるだけ、この対立は深化してしまいます。

共産主義に関しては、こちらはいろいろな意味で対立するしかない。彼らにしてみれば、宗教はアヘンだし、貧しい者から収奪する資本家は敵。わかりやすい話です。このあたりは、ユダヤ人ももう少し、寛容の精神と慈悲の心が必用なのでしょうけど、ガザ地区の有様を見る限り、これは相当に期待薄であるように思われます。

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