與那覇潤氏の6/16付けアゴラ記事「ひとはなぜ成熟をしないのか」へのコメントです。
2年ほど前に出た、リンダ・グラットンらの「LIFE SHIFT(ライフ・シフト)」中でネオテニーの重要性を語っておりました。変化の激しい時代に、100年の人生を有意義に生きようと思えば、下手に成熟しては駄目、というわけです。
ネオテニー、日本語では「幼形成熟」と言い、体は(特に生殖器が)大人になっても、どこかに幼い部分を残している成熟のあり方で、「人間はチンパンジーのネオテニーである」などという極論もあります。まあ、人間を成熟させるとチンパンジーになってしまうわけではありませんけど、たしかに年を取って頑固になって猿に似てきた方々もいる。具体的に誰、とは申しませんが。
以前、プレジデントオンラインに野中郁次郎氏が「米海兵隊が"PDCA"より"OODA"を使うワケ」と題して次のようなことを書かれていました。
OODAループは「観察(Observation)・情勢判断(Orientation)・意思決定(Decision)・行動(Action)」の4段階からなる。最初の観察では五感を駆使して現実をあるがままに直観し、暗黙知的に知覚する。最新の脳科学でも知覚的な情報はほとんど身体が吸収し、脳はそこからしみ出る一部の情報を認識していることが判明している。……
特に重要なのが「ビッグO」と呼ばれる2番目の情勢判断だ。それぞれの部分的な知を総合して全体としての概念を導き、判断する。こうして暗黙知と形式知を相互変換しながら、「部分から全体へ」と総合し、概念化していくことを「暗黙的知り方」と呼ぶ。客観的な数値データをもとに「AだからB、BだからC」のように論理をたどる「分析的思考」よりはるかに俊敏に判断ができる。この過程で論理では到達できない「跳ぶ発想」が入ると創造的でイノベーティブなアイデアが創発され、新しい価値や意味が生まれる。
論理が出来上がってしまうと、この「跳ぶ発想」ができなくなるということではないでしょうか。この能力こそ、人を人たらしめた。つまり、人類の進化は幼形成熟のたまもの、というわけです。
わしは去るや。ぷろg