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日本の原子力発電に必要なこと

澤田哲生氏の7/1付けアゴラ記事「日本はすでにエネルギー後進国への道を歩み始めている」へのコメントです。


福島第一原子力発電所事故の後、従来の原子力賠償法を見直す動きがあった。しかし、結局のところ何も変わらず、原子力事故が起こった際の賠償は、今もって事業者には事実上の〝無限責任〟のまま放置されている。

経営学の一部門であるリスクマネージメントの観点からは、テイクできるリスクには、二種類あります。一つは、そのリスクが示現しても経営資源で充分にカバーできるものである場合で、もう一つは、そのリスクが示現する可能性は無視できる程度に低いこと、なのですね。

上の引用部で「〝無限責任〟のまま放置されている」ことが問題となるのは、このリスクが示現する確率が無視しえない程度に高く、かつ、一旦示現した際の損害が電力会社の負担できる限度を超えているからなのですね。リスクマネージメントの教えるところでは、そういうリスクはテイクすべきではない、とされております。

テイクできないリスクに対して経営がとり得る道は三つあります。一つは「回避」で、これはつまり、原子力発電はしない、という道です。もう一つは、「縮小」で、リスクが示現した際の損失を経営資源でカバーできる程度まで、事業規模を縮小することなのですが、原発の場合、この道は取り得ない。第三が「転嫁」で、保険によってカバーする道なのですね。

保険によるカバーは、保険料をとめどなく増額していけば、いずれは カバー可能だと思いますが、これが困難ということではないでしょうか。ならば、リスクの示現する確率を減らして、保険に応じやすくすることが肝要ではないかと思います。「原発は絶対安全」という建前からは、原発事故のリスクを減らすなどという考えがとりにくいのですが、既に福島で事故を起こしてしまっている。安全神話は崩壊しているのですね。この状況下で日本で原発を展開するためには、基本的なところから考えを改める必要があるのではないか、そう私は思うのですね。


問題の指摘だけして解を示さないのは無責任の誹りを受けそうですので、私の思うところを述べておきます。主要な問題は二つ、一つは、原発の日本立地で特に問題になる地震と津波の問題、そして、高レベル放射性廃棄物処理の問題です。

地震と津波に関しては、福島以前には地震による施設の破壊が危惧され、その中でも特に活断層が問題視されてきましたが、施設を活断層から避けることと、機器類の耐震設計によりこれまでには問題となっておりません。たとえば2007年の中越沖地震で柏崎刈羽は震度6強の揺れを受けたのですが、自動停止して特段の問題は生じていないのですね。

問題は津波で、福島の事故も津波が問題だった。そして、我が国の原発がみな海沿いに設置されていることが、私には奇異に思えるのですね。もちろん、海水で冷却すれば熱効率が上がる、巨大な冷水塔が不要なら建設コストも下がる、それは事実でしょう。だけど、海外で冷水塔が一般的であるにもかかわらず、津波(英語もtsunamiですよ)がしばしば発生している地震国日本で原発を臨海部に設置しなきゃいけない理由がわからない。臨海部を避け、海抜の高い所に原発立地しておれば福島の事故は避けられた。原発事故確率も大きく低下する。この点は心しなくてはいけません。

高レベル廃棄物の問題は、そのままでは無害化に10万年を要するのだが、高速炉などを用いて再処理すれば300年で無害化する。だけど、もんじゅの失敗以来、再処理のプロセスが頓挫している。ならば、10万年原発内で保存するかとなりますと、これまた地震や津波、あるいはその他の事故の確率が上がってしまうのですね。それ以外にも、10万年も保存することが、果たして現実的に可能かどうか、経済性を含めて考えなくてはいけません。

これらを含めて一つの解を提示するなら、海抜の高い場所に冷水塔を備えた高速炉を設置する。冷却システムに水以外(ナトリウムが困難ならヘリウムガスなど)を採用すれば、ボイラー温度も上昇し熱効率が上がる。そうすれば、冷水塔も小型化できるのですね。これで、放射性廃棄物を処理し、得られたプルトニウムも発電に使う。そうして、安全性を確保しつつ、電力を得、かつ高レベル放射性廃棄物も処理する。他にも案があるかもしれませんが、このような形こそが、将来への責任を意識した現実的な姿ではないか、と考える次第です。

1 thoughts on “日本の原子力発電に必要なこと

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