岡本裕明氏の7/3付けアゴラ記事「労働生産性、低いままでよいのか?:本当にヤバい日本経済」へのコメントです。
問題は日本の労働生産性がなぜ30年にもわたり上がらないのか、これが不思議の中の不思議なのです。1995年といえばウィンドウズ95の幕開けで産業革命といわれるほどコンピューター化、IT化、更にはAI化が進みます。経理部門なんて経理ソフトや社内のイントラネット普及で昔は20人もいた会社でも今では5人でできるでしょう。
これは「失われた30年」というよく知られた現象です。失われた30年の原因は4つほど指摘されており、一つが行き過ぎた円高(適正水準165円付近に対して実際が100-130円/$)、情報革命への乗り損ない、バブルとその崩壊に伴う金融危機、アジア諸国の工業化などがありますが、あとの二つは行き過ぎた円高の結果でもあり、主な原因は最初の二つです。
行き過ぎた円高の問題に関しては、他のエントリーにも多々コメントを付けましたので今回は省略しますけど、我が国の生産性の上がらない大きな要素ではあります。つまり、生産性の高いハイテク産業(電機、情報機器、自動車など)の工場が海外に出て行ってしまい、生産性の低いサービス業が我が国に残る。これでは、日本のGDPは上がらないし、生産性も上がらないし、給与総額も上がらず、我が国が不景気になるのは当たり前の話です。
情報革命への乗り損ないは、上の引用部にもありますように、情報機器を用いれば事務職員はおよそ1/5に省略できる。これは、1990年代に登場しました「ビジネス・プロセス・リエンジニアリング(BPR)」の効果として一般的な値でもあります。情報技術を利用したビジネスプロセスの合理化手法は、サプライ・チェーン・マネージメント(SCM)なども含めて、1990年代にほぼ完成の域に達しているのですが、我が国企業がこれをどこまでものにしているかといえばはなはだ怪しいのですね。
我が国が新しい技術にキャッチアップできない一つの原因は、我が国の雇用制度、文系スタッフが多く、理系人材の比重がさほど高くはない教育制度も問題でした。技術が停滞している時代ならこれでも良かったのですが、技術が経済をリードする時代に、これでは競争になりません。ここは、高等教育から雇用制度まで、幅広い改革が必要とされるところです。
さあね