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ポピュリズムの理想と危険性

岡本裕明氏の7/9付けアゴラ記事「4つの選挙結果にみる有権者の分断化」へのコメントです。


ポピュリズムは「大衆迎合主義」的意味合いが強く「衆愚政治」とまではいかないまでも、あまり良い意味では使われておりません。でも、本来は、「人民の人民による人民のための政治(by リンカーン)」と同じ概念で、エリートや特権階級のためではない、一般市民に立脚した政治を目指すという、素晴らしい考え方なのですね。

ところが、肝心の一般市民の意思決定が、必ずしも好ましいものではない。目先の利害に左右され、長期的な問題を軽視するきらいがありますし、分断を煽る言説に影響されやすいという問題もある。そしてさらに大きな問題は、ポピュリズムが全体主義、ファシズムの萌芽を孕んでいるという問題なのですね。

これは昨今のヨーロッパの問題で、中東やアフリカからの移民が社会的問題になる。だから彼らを排除せよという主張が力を持つのですね。これは、米国におけるメキシコ不法移民の問題もありますし、我が国にもクルド人など一部に問題がないわけでもない。

これを単純に排斥せよという主張は、話が分かりやすいため、大衆に歓迎されやすいけれど、そのいきつくところは社会の分断で、ユダヤ人を迫害したナチスドイツがそうであったように、ユダヤ人以外の社会の他のグループにも迫害の矛先が向かうことだってある。

新聞は売れればよい、テレビは視聴率が上がればよいという既存メディアにはポピュリズムに流されやすいのだけど、PV稼いでナンボのネットメディアだって人のことは言えない。このアゴラの寄稿者にもそうした傾向を持つ人が少なからずおられる。そうした時代にすべきことは、少しでも先が見えると自覚する人が、目先重視の言動に疑問を呈すること、普遍的価値の提示などではないかと思います。ま、言うは易し、ではあるのですが。

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