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河野デジタル相に財務相が苦言

ブルームバーグが「鈴木財務相『発言は慎重に』、河野デジタル相に苦言-利上げ巡り」と題する記事を配信しております。これは、以前のブルームバーグの河野氏に対するインタビュー「日銀は円安是正のため利上げを-河野デジタル相単独インタビュー」での河野氏の発言に対する苦言でしょう。この河野氏の発言に関しては、私も少々問題であるように感じておりました。


円高指向の誘惑とリスク

最近の円安の動きに対して好感を持っているのは、経済学者では高橋洋一氏など、どちらかといえば毛色の変わった方くらいで、インフルエンサーの西村博之氏をはじめ、多くの方が円高を良しとする主張を展開されております。

なにぶん、ネットに接する人たちや一般の消費者は、物価が安い方が良い。円高になれば、給与は下がらないけど物価が下がる。実質的な給与は上がり、生活が楽になるのですね。その代わり、企業は輸出が困難になり、景気は悪化するのですが、企業の損失は企業自体の決算の中で吸収しておりますので、さしあたり一般社員の生活が苦しくなるわけではないのですね。

ネットで活躍するインフルエンサーの方々は、ページビューやフォロワーといった数が大事ですから、一般受けする主張に傾く。新聞やテレビも、売り上げ、視聴率大事ですから一般受けを狙う。政治家は、国民の支持があってナンボというところがありますから、さしあたり選挙で有権者に支持されるためにも、あるいは 総理を目指す人などは特に、円高指向を唱える。まあ、そういう心境はわからなくはないのですね。

ところが、円高は日本の景気を悪くする。昨今わが国で問題となっております日本国債発行残高の急増も、じつは、1990年頃より激化している。その理由は、「円高不況対策」だったのですね。この時代、急速な円高が進み輸出が停滞する。電機産業、自動車産業などの工場が海外に移転して、国内に取り残された中小企業の倒産が相次ぐ。工場が海外に移転すれば、その給与は国外で支払われ、さまざまな発注も海外で行われる。その結果、国内の需要が減少し、雇用も減って不景気になる。この外需の抜けた穴を内需で補おうと、国債を発行して得た資金で公共投資を活発に行ったのですね。

これは過去の話というわけではない。今日に至るまで、国債の発行残高は積み上がっている。円高不況という言葉はなくなったのだけど、円高不況がなくなった訳ではない。我が国のGDPは1995年以来ぜんぜん増加せず、国内の給与総額も全然増えていない。経済が成長してナンボという感覚からは、不景気が続いているというしかありません。

通貨危機に学ぶもの

円高を歓迎するのは、消費者だけではなく、通貨当局も、じつは自国通貨高を歓迎するのですね。と、いいますのは、通貨当局の使命の一つが「自国通貨の価値の維持」にあるわけで、自国通貨高(日本では円高)こそが通貨当局のプライドであるわけです。これが問題を起こしたのが1970年代後半の無理なドル高であり、1992年のポンド危機だったのですね。

自国通貨高とするためには自国通貨を買い続けなくてはいけない。これは、国内の産業が国際競争力があり、輸出により外貨を稼いでいるなら自然におこることだけど、自国産業の国際競争力が失われてしまい、国内の輸出産業が減少してしまったら、自国通貨は外貨準備を取り崩すなり海外からの借り入れなりをして得た資金で購入するしかない。しかし、外貨準備はいずれ底をつき、借り入れも無制限にできるわけではなく、海外の投機筋に売りを仕掛けられますと、これに敗退してしまうこともままあります。

また、ポピュリスト政権も、国民の人気を得るために自国通貨高を演出することがある。このための簡単な手は、自国通貨と国際的な通貨(例えばドル)との間の交換比率を一定に保つことが行われる。これを実行したのがタイのドルペッグ制であり、アルゼンチンの兌換法であり、前者は1997年のアジア通貨危機のきっかけとなる一方、後者は2000年から2001年にかけて発生したアルゼンチンの通貨危機の原因となりました。

通貨政策の失敗は、国家の富の大規模な国外流出を招き、国民に大きな犠牲を強いる結果となります。だから、通貨政策は、慎重の上にも慎重に決めていかなくてはいけない。今回のインタビューにおける河野氏の発言は、一体どのような背景のもとになされたのか、これが非常に疑問であるわけです。つまり、総理総裁を目指すとしても、経済の専門家でもない者が、単なる個人的感覚や印象で国家の通貨政策を決めてよいわけではない。この点は、今後、河野氏や石破氏が総理を目指し、あるいはこの国の経済政策に発言力を増した場合、特に気を付けなくてはいけない点であると思います。

デジタル相のなすべきことは

もう一つ、河野氏に違和感を感じるのは、河野氏が日本のデジタル化に責任を持つ人物であるという点です。金融政策により円高を実現することは、極めて危険な試みである一方で、他に円高を実現する手がないわけではない。つまり、我が国の産業を強くすればよいのですね。そして、我が国の問題は、情報サービスの分野において、決定的に遅れている。1995年以来、日本のGDP増加が止まってしまったのですが、この1995年は別名「インターネット元年」と呼ばれ、この年以降、パーソナルコンピュータが急速に普及し、インターネットがこれらを結ぶようになった。そしてこれを利用する米国の情報産業が急速に発展した。GAFAに代表される情報産業が米国の経済をけん引し、米国経済の急成長を実現しているのですね。

一方、我が国でも、すでにパーソナルコンピュータは日本国内にも普及し、インターネット接続もできている。しかしながらその利用において、我が国は決定的に遅れており、サービス産業も立ち上がらない。ここを何とかすることが、河野氏の立場でまさになすべきことです。しかもそれは、自国通貨高を実現する、もっとも手堅く、安全な政策であるわけです。それをしないで通貨当局に危険な試みを求める。そこに大いなる違和感を感じた次第です。

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