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フランス現代思想の意味と限界

篠田英朗氏の7/30付けアゴラ記事「パリ・オリンピックの演出が映し出す現代国際政治の思想戦」へのコメントです。


1990年代以降の「ポスト冷戦時代」は、「自由民主主義主義の勝利」による「歴史の終わり」の物語を掲げる英米圏の保守主義的な思想が、勢いを持った時代であった。フランス現代思想の潮流は、現実の国際政治においては、何も影響を見ることがなかった。

フランス現代思想が力を持ち得なかったというのはその通りですけど、前半は全然違いますよ。リオタールの1984年の著「ポストモダンの条件」が、ポストモダン思想に火をつけたのですけど、その主張は「大きな物語の終焉」、西欧中心の価値観が揺らぎ、レヴィストロースらが火をつけた構造主義、つまり多文化並存の価値観へと現代思想が変化していったのですね。

その伏線は70年代からありました。米国はベトナムで戦争に敗れ、オイルメジャーは産油国に価格決定権を奪われ、電子機器や自動車といった先端工業分野で米国は日本に蹂躙された。欧米の文化が輝いていた時代は終わってしまったのですね。そして、1989年はベルリンの壁が崩壊した年。共産主義というイデオロギーも力を失ってしまった。

でも、ポストモダン思想は、世界が混乱に向かう状況は描き出したけれど、これに対して何をすべきかは語っていないのですね。これは大いなる手抜きではあります。実は、多文化並存の時代にも大きな物語は構築できる。そのベースは「普遍性」、つまり文化の差を超えた価値を提示すればよい。フランスにはそれがあったのに、なぜこれを提示できなかったのか、これが現在のフランス人の限界であるのかもしれません。

一つのヒントは、鬼頭莫宏著「ヴァンデミエールの翼1ヴァンデミエールの翼2(解説はこちら)」の最終話にあるかもしれません。力を失い古道具屋に置かれた自律胴人形ヴァンデミエールにかつての恋人レイの遺志を伝えに来た弁護士のセリフにそれがある。以下の文章がそれですけど、わかりますかね。この短いセンテンスの中に、フランス革命の基本思想から現象学なり実存主義のキーワードまでが隠れております。

さあ、目を覚ましなさい、ヴァンデミエール。上からの言葉ではなく、内からの言葉を聞く時です。自らの存在を、その意識の中からつかみあげる時。


星光

> この短いセンテンスの中に、フランス革命の基本思想から現象学なり実存主義のキーワードまでが隠れております。

さっぱり、わかんないです(笑)

分かる人には分かるのでしょうが、分かる人が分かっても意味がないような...。単なる言葉遊びですよね?


瀬尾 雄三

星光さん

> さっぱり、わかんないです(笑)

簡単に解説いたしますと、まず、ヴァンデミエールはフランス革命歴の1月(葡萄月:秋分の日からの1ヶ月)で他の月の名前を持つ登場人物も何人かいることから、このコミックがフランス革命を強く意識したものであることは確かでしょう。このコミック自体の時代背景は、第一次大戦の前あたりと推定されるのですが。

フランス革命で民主主義に立脚した国民国家が誕生したという意味は、政治権力がそれまでの王の支配から自立した個人に移行したということ。『上からの言葉ではなく、内からの言葉を聞く時』がやってきたわけですね。そしてその内なる言葉の出どころは、己の意識である。「実存は本質に先立つ」わけです。

我が国では明治維新以降国民国家に移行したとされるのですが、個人の自立には疑問符が付きます。川島武宣氏のいう「家族的原理」は、おそらく今日まで脈々と日本人の精神に影響を与えております。それはつまり「(1)「権威」による支配とこれへの無条件的服従、(2)個人的行動の欠如とそれに由来する個人的責任感の欠如、(3)一切の自主的な批判・反省を許さぬ社会的規範、(4)親分子分的結合の家族的雰囲気と、その外に対する敵対的意識との対立」というわけです。

このような家族的原理の支配は、自民党の派閥などに典型的ではあるのですが、内部の異論を許さない、日本共産党や朝日新聞社のニュースをみますと、右から左まで、日本社会に幅広い影響を与えている。日本人の多くが本物の民主主義を理解するには(そしてフランス革命の価値を知るには)、まだ多少の時間が必要であるのかもしれません。


星光

詳細な解説、ありがとうございます。
おかげさまで、ある程度理解することができました。
しかしながら、個があってこその組織(国家)であるのは当然のこととして、組織が機能することで個が生かされるということもまた真理なのではないかと。いまどきの日本人で、個人の意思よりも国家の都合が絶対的に優先するなどという人はいないような、、、。(1)〜(4)でお示しいただいた状況が多少は残っているにせよ、それほどでもないと思いたいものです。何事もバランスが重要です。
ところで、米国の独立のほうがフランス革命に先んじて、実質的な国民主権による民主主義国家の誕生となっったのでは?皮肉なことに、アメリカ独立戦争を支援したフランスの財政難がフランス革命の呼び水になったようですが。


瀬尾 雄三

星光さん

> 米国の独立のほうがフランス革命に先んじて、実質的な国民主権による民主主義国家の誕生となっったのでは?

フランス革命がもたらしたものは、「民主主義という普遍的価値」を共有する「国民国家」の誕生なのですね。このあたりの用語は非常に難しいものがありまして、たとえば塩川仲明著「民族とネイション(岩波新書)」あたりを読んでいただくとご理解いただけるのではないかと思います。

フランス国旗である三色旗(トリコロール)は民主主義を表わすとも言われており、その三つの色は「自由」「平等」「友愛」を意味するとフランス憲法が定めております。このような普遍的価値を共有した国家というのが新しい形で、ここに人類の希望がある。

問題は、血のつながりや、宗教文化といった「エスニシティ」の共有により多くの国家が成立していることで、これが世界の多くの悲劇のもととなっております。今日のパレスチナしかり、かつてのユーゴスラヴィアしかり、ですね。その解決の方向として「エスニシティの克服」があるのですね。

今回のオリンピックでたなびく三色の煙を見ても、フランス人がおのれの国の歴史に誇りを持つことは理解できる。その根本は普遍的価値を掲げたことで、EUの理念にもそれは現れているのでしょう。でも、ポストモダンの思想家たちは、混乱を前に何もできない。解は見えているのに。そこがちょっと物足りない所ではあるのですね。

1 thoughts on “フランス現代思想の意味と限界

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