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「理性という名の狂気」が問題

自由主義研究所の8/28付けアゴラ記事「『ひろゆき×斎藤幸平』YouTube番組を見て思ったこと」へのコメントです。


自由主義者の中には、一般人に興味をもってもらおうという「視点」すらない人が多く、これでは左派に負け続けてしまうと思います。そもそも権力を持っている左派の力は強大なのに、それに対抗したい自由主義が一般人にすら広げられない(広げる気がない)ならどうしようもないですよね…。

「自由主義を広げよう」という考え方は、「一匹狼の会をつくろう」という考え方に似た、ある意味、それ自体が矛盾した考え方ではないかと思います。自由主義のもっとも根底には、「おのれの外部の(おのれより優れた他者の)声に従うのではなく、おのれの心の内からの声に従え」という考え方があるのですね。

つまり問題は、右か、左か、ということではない。己自身の行動をどうするかという判断を、外部に委ねるのではなく、己自身で決して行かなくてはいけないということ。大昔は王権がこれを定めていたけれど、現代で問題になるのはイデオロギー、理想を求める論理が諸悪の根源だ、ということです。その論理の一つに共産主義はある。また、右翼思想や民族主義、宗教、更には「仲間の論理」などにも、同じ問題を孕むものがあるのですね。

以前も引用いたしましたが、青木保氏が「多文化世界」の中で紹介されたバーリンの言葉はこの事情を端的に表しております。ご参考までに、再度記しておきます。

イデオロギーは人間の理想を鼓舞する一方、人間性をおとしめたり抑圧したりする…社会改革のイデオロギーは常にプラスの方向、よりよいものであると捉えられていました。それはフランス革命以来、人間の理想の追求の一環として捉えられてきたからだと言えるでしょう。ただ、20世紀を振り返ってみますと、理想主義に貫かれたイデオロギーのもたらしたものは、結果的に反人間的な行いであり、価値の分断であり、ナチズムに象徴されるように、人類の一体化よりはむしろ人類の分断であり、抑圧であったと言えます。これは大変不幸なことだったと思います。

「理性という名の狂気」、これが問題の根源なのですね。

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