アゴラ編集部の9/16付けアゴラ記事「円相場が一時1ドル139円台に:円高基調はつづくのか?」へのコメントです。
金利を上げて円高にせよといった主張が、至極自然に語られていますけど、本来、このような形で為替を操作することは好ましくない行為であるとされております。過去の通貨危機の多くが、タイのドルペッグ制、アルゼンチンの兌換法、英国のポンド防衛など、無理な自国通貨高政策で発生したことを忘れてはいけません。
では、金利は何を参照して決めるべきかといえば、国内経済の過熱状態を参考に決めるべきなのですね。つまり、国内企業が高い利益を上げ、生産活動を拡大し、このための資源が不足するような場合に、【景気を冷やすため】に金利の引き上げが行われるのですね。
これまでの米国の高い金利は、GAFAがけん引する米国経済が絶好調であったが故の(これを冷やすための)高金利だったし、それが低下してきたから金利を引き下げようという話になっているのですね。一方の日本は、好景気などとんでもない、失われた30年から脱却できるかどうか、という状況なのですね。
ところで、アゴラで時々出る意見に、「低金利でしか生きられない利益率の低い企業(ゾンビ企業)にはご退場いただきたい」というのがあるのですが、じつは、経済状況が悪化すると、多くの企業の利益率が低下する。これを救済するために低金利にするのは、経済の常道なのですね。
つまり、多くの企業の利益率が低下してきたのが、一国の経済環境が悪化しているからであるなら、金利を下げてこれらの企業を永らえさせつつ、経済環境を好転させなくてはいけない、というわけです。(処方箋は続けて記載します)
(続きです)では、日本の経済環境の何がまずかったかといえば、第一に1985年のプラザ合意以来の行き過ぎた円高(1ドルが150円を切るレベルを当時は行き過ぎと判断していました)であり、もう一つは1995年の「インターネット元年」に象徴される情報革命に乗り損なったこととなのですね。
行き過ぎた円高は、国内生産工場の海外逃避を招き、これらを経営する企業利益は守られたものの、日本のGDPは伸び悩むし、国内の給与総額も伸び悩む。逃避した工場は、海外のGFPに寄与するし、賃金は海外の労働者に支払われますから。
情報革命に乗り損なったことは、わが国独自の固定的な雇用制度によると考えられます。情報技術は、従来の技術が新製品開発や生産工場の内部にとどまっていたのに対して、ビジネス全般に及び、特に技術に弱いわが国のホワイトカラーには対応困難であったことによると思われます。
我が国の司法や業界団体が新しい情報ビジネスに冷淡であったことも、情報技術へのキャッチアップには大いなるハンディーを与えたと思われます。だからといって、いまさらそんなことを言っても始まらない。これからどうするかが最大の問題なのですね。
結局のところ、新しいビジネスを起こし、これを成長させるためにも、我が国の経済環境は成長重視で行くしかない。それには、低金利と自国通貨安を維持するしかありません。また、雇用環境の流動化も必要だし、規制緩和と行財政改革も必要でしょう。後者は法人税の低下という、日本企業を応援する大いなる要素でもありますから。
18