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兵庫の大どんでん返しはあるか

ねーさん氏の11/8付けアゴラ記事「野村修也弁護士『知事に流れ着いた文書の取扱いは公益通報者保護法に書いてない・指針で行政が立法を覆すべきではない』」へのコメントです。


要するに、斎藤知事の行動に問題はなかった、ということでしょうか。その後の話を聞く限り、そうした構図が浮かび上がってくるのですが、もしこれが正しいとすると、我が国の抱えている病根と言いますか、腐った部分が明るみに出るかもしれませんね。これが正しいとすると、つまり、こういうことが起こったと。

まず、斎藤知事は県庁の改革をして税金の無駄遣いをやめさせようとした、と。これに反抗する職員が、怪文書を流して抵抗したが、知事の反撃を食らい、にっちもさっちもいかなくなって自殺した、ということですね。

で、これを奇貨とした県庁職員が、パワハラだー、とマスコミに流した。県庁の記者クラブや県庁からのリーク情報に頼っているメディア各社は、いうなれば県庁職員と同じ穴の狢で、それっとばかりに斎藤知事叩きに走った、ということでしょう。

で、ここで斎藤氏が頓挫してしまったら、県庁職員や関西ローカルメディアの思うつぼだったのですが、勇気ある高校生が一通の手紙を斎藤氏に送り、斎藤氏がやる気を出した。で、いろいろとみていくと、どうやら、斎藤氏に対する非難は根拠の薄いもので、じつは斎藤氏のやっていることが全く正しいことであった、とだんだんわかるようになってしまった。

まあ、そういうことであると致しますと、これは、そもそもの問題が大問題だし、これを支えた役所とメディアの腐れ縁も大問題、ということになる。まあ、ここは知事選の結果を見なければわかりませんが、我が国の恥部を明らかにして、新しい日本をつくる始まりになるかもしれません。ここは、大いに期待すべきところでしょう。

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