久美薫氏の12/31付けアゴラ記事「宮崎駿は45年前、ハリウッド進出を『カリ城』でどう目論んだか」へのコメントです。
何か、レコードの針がとんでいるようなエントリーですけど、それはともかく、「 昭和54年12月の公開当時、日本では反応がさっぱりだったが」の部分ですけど、Wikipedia(宮崎駿)によりますと、次のような書かれ方をしております。
宮崎は「カリオストロではじめて体力の限界を知った」というほど、監督として映画製作に尽力し、4ヵ月半という短い期間で作り上げた。しかし、当時の『2ndルパン』のイメージと違う作風や、SFアニメ全盛の時代ということもあって不発におわり、興行的には前作に及ばなかった。むしろ興行的不振のために、しばらくの間映画に携われない不遇の時を過ごすことになった。
しかしロリコンブームを追い風にヒロインのクラリスが美少女アニメファンからカルト的支持を受け、後に再放送されては高視聴率をあげるなど、アニメーションの金字塔的作品として高い評価を受けている。
これ、本当でしょうか。一応Wikipediaは、以下のURLを根拠として挙げているのですが… http://www.style.fm/as/05_column/animesama69.shtml
この作品は、我が国のアニメ史においても重要な位置を占めております。アサヒ芸能から創刊当時のアニメージュに引き抜かれた鈴木敏夫氏が、アニメに詳しい女子高生の助言を受けて訪問したのがこのアニメを作成中の宮崎駿氏のもとだったのですね。(参考)
この作品なくば、スタジオジブリもその素晴らしい作品も生まれ得なかった。そういう意味で、この作品は重要な位置を占めております。しかし、アニメージュの編集長にアニメを指南する「女子高生」って、いったい何者? 恐ろしい世界です。
じあにめ