コンテンツへスキップ

子育て支援こそが人口回復の鍵

篠田英朗氏の1/4付けアゴラ記事「人口ピラミッドから見る人口減少の背景」へのコメントです。


日本の人口推移の歴史転換点は、1970年代前半にある。このあたりの時期の出生数の推移が異常になった。あとは継続して降下現象を続けているだけである。
上述の推論をあてはめると、1970年代から、人々が、社会の右肩上がりの進展を常識として信じなくなり、異なる生活様式を取るようになった。それにそって社会的諸制度の設計運営も変化した。社会科学者として関心をかき立てられるのは、この点だ。1970年代前半に何があったか。

何があったかですが、篠田氏は、1973年のオイルショックと為替変動制移行による、日本の高度成長終焉としておられますが、じつは70年代の日本は狂乱物価などもあったのですが、国際的に見れば環境技術や省エネ技術をものにした日本経済は絶好調で、集中豪雨的輸出が問題になり、1979年には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などという書物まで出版される。

むしろ、少子化に関係しそうな動きとして、厚労省の「年金制度の仕組みと考え方」の第五章の以下の記述が関係していそうです。https://www.mhlw.go.jp/stf/nenkin_shikumi.html https://www.mhlw.go.jp/stf/nenkin_shikumi_005.html

 経済の高度経済成長が続く中で、高齢化や核家族化の進行、扶養意識の変化など、高齢者を取り巻く環境が大きく変化し、……。昭和48(1973)年改正においては、年金額の物価スライド制の導入、過去の低い標準報酬の再評価、給付水準の大幅な引上げ等を内容とする年金制度改正が行われた。 年金水準については、……標準的な年金額を約50,000円とした。

つまり、かつては普通だった高齢者に対する現役層のサポートが期待されなくなったことが年金制度充実の背景にあったわけですね。高齢者を年金という形で社会が支える一方で、子育ては個人負担のままとされた。これでは、子供をつくったら負け(経済的には持ち出すだけ)となり、少子化は当然の帰結と言えます。子育てに対する社会的支援こそが、(バラマキなどではなく)人口回復の鍵だと思いますよ。

1 thoughts on “子育て支援こそが人口回復の鍵

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です