コンテンツへスキップ

今に残る河原乞食の文化と伝統

岡本裕明氏の1/18付けアゴラ記事「中居正広氏問題、日本の恥部かも:何年経っても変わらないガラパゴスの世界」へのコメントです。


日本の歴史を紐解けば江戸時代までは芸能は社会的地位があまり高くない人がやることとされ、

まあ、河原乞食以来の日本の伝統ですから、それが日本文化であり、日本の常識であると言われてもなっとくするしかありません。「士農工商芸能人」などという言葉も、昭和の御代になっても日本のどこかにあったような、、、

これが芸能界という特殊な世界にとどまっておれば(それはそれで問題だけど)問題は限定的ではあるのですが、政治経済にも大きな影響を与える(ないしそうしたシステムの一部を構成する)、ジャーナリズムの世界がそうだとなりますと、これは少々問題なのですね。

フジの問題に触れた米国ファンドが卒倒しそうなくらいびっくりするのは、欧米の感覚に照らせば当然のことのように思います。何だかんだといって、今は人権意識が発達しているのですね。このあたりは、日本国内の一般常識から言っても、許されることではないと思いますよ。

一方我が国のメディアに限ってみれば、このあたりが特に遅れているのかもしれません。まだ、イエロージャーナリズムの文化を脱却しきれていないのかもしれない。それが日本の報道の自由度が世界70位あたりをうろちょろしている一つの理由であるのかもしれません。もはや、江戸時代ではないのだが。


返信が一つついているのですが、これを書かれた方、facebookでは正体不明。他のコメントを見ても、この問題はたいしたことではない、とのことです。フジテレビサイドのSNS消火班、でしょうか?

月野一郎

これもゴシップネタに過ぎないわけですよ。
別に日本人だけがゴシップ好きではなく、米国でも同じで、むしろ米国のほうが過剰に反応するから株主がどうなってんだとおっしゃるわけですね。
あほらしい話です。

1 thoughts on “今に残る河原乞食の文化と伝統

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です