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バカの相手をするバカになるな

黒坂岳央氏の2/10付けアゴラ記事「バカほどSNSで自信満々な3つの理由」へのコメントです。


本稿の文脈におけるバカの定義とは「知能指数が低い」のではなく、認知のゆがみが極端に大きく、それ故に失笑を買う「一般化できない極端にズレた発言、ズレた世界観を持つ人たち」を指している。

ということですが、知能指数の低い人も、極端にずれた人も、当人のニューラルネットワークのプログラムに問題があるという点では同じです。少なくとも、古典的名著であるホルスト・ガイヤー著「馬鹿について」は、知恵遅れを普通の馬鹿を同じに扱っております。

以前、新幹線を降りようとしたとき、出口の通路に立っている人がいる。彼は私が降りようとしているのを見て身を引いたのですがこういうのですね。「私が動いたことに対してお礼を言わないのですか?」と。で、私は「どうもありがとう」といって新幹線を降りたのですね。

ハッキリ言って、その人、知恵遅れの雰囲気ありまくりです。にこにこしているのは「多幸症」を疑わせる。だいたい、通路の真ん中に突っ立っているこいつが悪いのだが、それを敢えて私が指摘しないのは、それこそがバカげた行為であるからです。

結局のところ、馬鹿に対する私の見方は、当人が幸せならよいだろうというもの。先天的か否かは問わず、傍から口を出す必要はないのですね。触らぬバカにたたりなし、です。たとえその結果、私に少々の面倒があっても、馬鹿と付き合うよりは放っておいた方がよほど効率的。これだけは間違いありません。数々の馬鹿とお付き合いした経験の結果、かかる確信をもつに至りました。これもまた貴重な経験、といえるでしょう。

1 thoughts on “バカの相手をするバカになるな

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