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「時代の流れ」には、逆らうな

城繁幸氏の3/28付けアゴラ記事「新卒一括採用を廃止すると何が起こるの?と思った時に読む話」へのコメントです。


一方で「この人物は○○の職に採用できるか否か。また採用できるとして、果たして処遇はどの水準が適切なのか」と一人ずつ判断しなければならないとなると、これはとてもじゃないですけど人事部の手に負える仕事ではないです。
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「採用決定権だけならいいじゃないか」と考える人事の人もいるかもしれませんが、当然ながら入り口で処遇を決められるようになった事業部側は、その後の昇給昇格といった人事権の本丸も要求するでしょう。

普通に考えれば、社員の成績や能力を把握しているのは事業部サイドだから、処遇を決めるのも事業部であるべきなのですが、そうなっていないということは、なぜなのでしょうか。

おそらくは、かつての企業にとって、人材とは『頭数』だったのではないでしょうか。これ、ソフト業界などで人材を「人・月(マン・アワー)」で評価するのと同じ考えで、そろばん片手に帳簿を付けるといった作業、あるいはもっこ担いで土砂を移動するといった作業が仕事の全てであるなら、たしかに人・月評価でことが済んでいたかもしれない。

でも今日では、技術は恐ろしく複雑化し、事務職にしたところで情報技術や数値処理の能力が要求される。しかも、それぞれ別の形で要求されるわけで、頭数をそろえればどうこうなる時代でもないのですね。

これを通年採用なり実力主義に切り替えて、人事権の本丸を人事部が失うということになりますと、たしかに人事部にとっては不幸なことであるようにも見える。でも、そもそも多様な人材の評価をせよなどという、無理な要求が生じる時代の変化が不幸の始まりなのであって、これに逆らうことは無理な話。むしろ無理な要求に応える必要がなくなったことを「ラッキー」と捉えるべきであるように、私には思われます。

1 thoughts on “「時代の流れ」には、逆らうな

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