自由主義研究所の4/12付けアゴラ記事「関税の隠れたコスト?『見えるもの、見えないもの』とは?」へのコメントです。
関税には、良い関税と悪い関税がある、ということでしょうね。
農業中心にやってきた発展途上国が、より生産性の高い工業国を目指す場合、誕生間もない(したがって競争力も弱い)工業部門を守るために機械製品に関税を課す、というのは良い関税といえるでしょう。ただし、その目的は、あくまで、当該産業が国際競争力を増すまでの、一時的なものと考えなくてはいけません。
逆に、衰退産業を守るために課す関税は、国民の負担を増すだけの悪い関税で、その弊害を除くためには、衰退産業自体が国際競争力を得る道筋をつけて、これをしっかりと実行しなくてはいけません。
米国の鉄鋼・自動車産業に、果たして国際競争力を得る道筋があるのか、それとも未来永劫、関税のお世話で生き延びるつもりなのか、ここが問題であり、日本製鉄によるUSS買収などは、米国鉄鋼業が生き延びる一つの道筋だし、テスラは米国自動車産業のロールモデルのはず。トランプ氏が怪しげな環境団体と共に解体すべきは、米国旧来の鉄鋼産業であり、自動車産業であったはずなのですね。
翻って、我が国の農業も、たしかに安全保障のために維持すべきではある。しかしそれをやるなら、少数精鋭で効率を高めることが肝要なのですね。いわば農業を工業化する。このための補助金を出すなら、これは貿易とは別の話。そうして、国際競争力のある食の生産にして、初めて食の安全は保たれる。今のあり方は、単にゾンビと化した農家を生き延びさせているようにしか見えないのですね。これはこれで、なんとかしなくてはいけません。
たり