尾藤克之氏の5/3付けアゴラ記事「『自分史上最高』という表現が映し出す言語と価値観の変容」へのコメントです。
この言葉は、おそらく、1992年のバルセロナオリンピックの女子200m平泳ぎで金メダルを獲得した岩崎恭子さん(14)の「いままで生きてきたなかで、いちばん幸せです」に源流があるのではないでしょうか。https://bunshun.jp/articles/-/11811
14年の人生で「いちばん」と言われてもあまりピンとこない、というのが一般の感想だけど、あらかじめ準備したものではない、率直な感想が好感されたものです。
ただしこの言葉が意味を持つのは、本人の感覚として記述されるからであって、客観的な価値を指し示す言葉ではない。これは、覚えておかなくてはいけません。
本人の感覚を客観的な事実として示すことができるのは、皇族など、極めて高い地位にあり、他者がそのお方のココロを尊重しなくてはいけないような人であることが条件なのですね。
だから、「とてもうれしく思います」などという感想を下々の者が簡単に口にしてはいけない。このあたりの思い違いが、自分の作品を他人に紹介する時に発する「自分史上最高」と言った言葉の違和感に通底するのではないでしょうか。主観と客観の使い分け、これは、コミュニケーションの場において注意しなくてはいけない点だと思います。
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