白石和幸氏の5/6付けアゴラ記事「スペイン大停電『人災』だった!? 送電トップは電力ド素人」へのコメントです。
(送電を管理するレッド・エレクトリカ社の)現最高責任者ベアトリス・コレドール氏は、サパテロ政権下で住宅大臣を務めた不動産の専門家であり、電力分野の経験は皆無である。
彼女は現政権を率いるサンチェス首相の夫人、ベゴーニャ・ゴメス氏の親友でもある。つまり、不動産の専門家がスペインの電力送電を一手に担う会社のトップに就いているという点で、既に異常な人事である。加えて、同社の役員の半数は社会労働党に関係のある人物で占められている。
この手の、能力とは無縁の、恣意的な人事が、さまざまな企業の失態を招くことは、ことスペインの電力会社だけではなく、我が国の最近の企業で生じている問題の、一つの大きな要因だということでしょうね。旧態依然とした経営がなされているなら、昔と同じことをしていればよいので、経営者にさほどの能力は要らない。だけど、今回のスペインの電力事業のように、自然エネルギーという新しい要素が加わってまいりますと、これまでの経験は役に立たず、それぞれの技術固有の特性がきちんとわかっていなくてはいけない。
同様の問題は、ショウビズの世界にも人権意識が高まるMeTooの時代の荒波を乗り切れなかったフジテレビの長老支配にも見られますし、米国自動車産業の衰退の原因でもあったのでしょう。後者は、J・パトリック・ライト著「晴れた日にはGMが見える」の次の記述にも見ることができます。
風采、スタイル、個性がGMの型と合致していれば、かなり「忠誠な」従業員になりかかっている。が、「忠誠」はそれ以上のものを要求する。それはしばしば、上司への忠義立て、現実の場での盲従を要求する。GMの従業員は、職場でビジネスを学ぶのと並行して忠誠を学ぶ。忠誠は公けの論理になる。それは、チームプレーの一環である。例えばピート・エステスは、「上司への忠義立て」の要を再々、力説したし、それを要求したし、それを得た。
忠誠で出世できるなら、要はごまをすればよいのですが、こんなことで重要なポストを得るようなことをやっておりますと、旧態依然とした大型車商売でやれていた間ならともかく、エネルギーコストが急上昇して低燃費の日本車との競争が激化した1970年代の自動車産業の舵取りを失敗するのも当たり前。世の中、なるようになっているだけの話、なんですね(>トランプさん)。