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「ノーベル賞受賞者」の作り方

八幡和郎氏の6/9付けアゴラ記事「ノーベル賞受賞者の大学と出身高校一覧を見て分かること」へのコメントです。


おもしろい結果ですね。これを見ますと、ノーベル賞を取る人の多くは、伝統のある公立高校を出て、国立大学、それも大部分が京都大学若しくは東京大学に進んだ人、というのは、偶然というには偏りが大きすぎるように思われます。つまり、その裏には何らかの原因があるはずだ、ということですね。

まず、私立大学がノーベル賞向きでない理由の一つに、入学試験の科目が3教科、理系なら英語、数学、理科であることが効いているのかもしれません。つまり、さしあたりの目的に合うことに注力するけれど、その他の知識には疎い人ができてしまうということですね。

新しい発想を生み出すには、多面的な発想が欠かせません。優れたアイデアは、目先の問題からはるかに離れたところに転がっているかもしれないのですね。英数理の3教科に偏った人というのは、発想の幅も限られる。そしてそういう人が私大に集中する、何かそのようなメカニズムが働いているのかもしれません。

高校に関して、伝統ある公立高校が強く、私立高校が少ないという点も、似たような背景がありそうです。私立高校はどうしても学校経営を第一に考えざるを得ず、有名大学の合格者数を競うようなところがある。このための手っ取り早い方法として、受験技術を教え込もうとの誘惑に負けてしまうのではないでしょうか。これに対して、伝統ある公立高校は、経営面は脇において、人造りをまず第一に考える傾向があるのではないかと思います。

こういった知見をフィードバックして、日本からノーベル賞受賞者を輩出するためには、大学の受験科目に全教科を義務付けることが考えられますけど、まあ、教育の目的はノーベル賞を取ることだけではない。優秀なエンジニアだって日本には必要なのだし、そういう人を作る教育もまた大事、ということでしょう。でも、工学部はともかく、理学部は、5教科で受験してもよいのではないかと思いますけど、どうでしょうかね。


他の方のコメントに返信を入れておきました。

渡辺井文

教科書を教えるのと
教科書を超えた何かを伝授する遊び心
の違い。しらんけど


渡辺井文

アインシュタイン「学校で学んだことをすべて忘れた後に残るものが教育だ」


渡辺井文

ジョブズ「ステイハングリー、ステイフーリッシュ」。 偏見を持たず、失敗を恐れず、常にチャレンジを続ける。

瀬尾 雄三

ヴィトゲンシュタイン(論理哲学論考)

> 6.54 ...... 梯子をのぼりきった者は梯子を投げ捨てねばならない。

景徳伝灯録:「百尺竿頭一歩を進む」https://dictionary.goo.ne.jp/.../%E7%99%BE%E5%B0%BA.../...

川久保玲氏のプレタポルテブランド「COMME des GARÇONS(コム・デ・ギャルソン:少年のように)」

みなさん、似たようなことを言っておいでです。

1 thoughts on “「ノーベル賞受賞者」の作り方

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