浦野文孝市の7/13付アゴラ記事「纒向は卑弥呼の都ではない:外交拠点の痕跡なし」へのコメントです。
僕は古代の交通インフラに詳しいわけではありませんが、3世紀に西日本全体で倭国乱があり、諸国間の合意で卑弥呼が共立されたとか、大和の勢力が九州北部に出先機関を置いて統治したなどということは信じられません。ヤマト王権が九州を統治するようになるのは6世紀初めの磐井の乱の後からとされています。
纒向が卑弥呼の都だとする説は、卑弥呼と対立した狗奴国の候補を尾張、駿河、毛野などとするようです。卑弥呼は中国に支援を求めています。近畿以東の戦乱のために中国に支援を求めるということがあるでしょうか。
魏志倭人伝に書かれた倭国の乱は、「倭国大乱」と247年に卑弥呼が帯方郡の王頎太守に上奏した「狗奴国との戦」の二回で、前者は後漢書が桓霊(西暦147~188年)間としているものの、それは卑弥呼共立の直前ですから、238年の卑弥呼最初の朝貢からさほど時を遡らないはずです。
魏志倭人伝は卑弥呼を「倭国女王」としておりますが、当時は男王が政治権力を担い、女性の巫女が神事を行う「ヒコ・ヒメ制」がとられていたといわれており、卑弥呼は巫女として各国に共立されたものの、政治権力は各国の王が引き続き維持したと考えられます。倭国を代表するのは各国に共立された卑弥呼ということになりますが、外交の実務は九州の伊都国で有力国の連合により執り行われていたと思われます。
問題は狗奴国ですが、倭人伝はその位置を「奴国」に続けて「その南」としており、奴国は北九州の儺の縣として、畿内説に従い南を東と読み替えるならば、狗奴国の位置は出雲と考えるのが妥当であるように思われます。半島では244-5年、魏が高句麗の首都丸都城を落とし多数の将兵を斬首刑に処します。この敗残兵が出雲に流れ着けば、出雲がこの兵力を利用して卑弥呼擁立国である吉備や播磨に侵攻しても不思議はないのですね。
吉備には「飛来した鬼(外来勢力?)」の侵攻を伝える「温羅伝説」があり、その立役者である吉備津彦は「彦五十狭芹彦命(ヒコイサセリビコノミコト)」とも呼ばれているのですが、これからヒコとミコトを除けば「イサセリ」、倭人伝に記載された243年の朝貢の正使「伊聲耆(イゼキ)」と音が良く一致するのですね。桃太郎のモデルともいわれるこのお話、その主人公がはるばる魏にわたって朝貢していたなんて、ちょっと面白いと思われませんか?
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3世紀の日本語の発音を知るのに沖縄方言が参考になるといわれています。佐渡山豊氏の「ドゥーチュイムニィ」は、一部が沖縄方言で歌われております。この歌の55秒目から「唐ぬ世から大和ぬ世、大和ぬ世からアメリカ世、アメリカ世からまた大和ぬ世、昼間さかわゆるくぬ沖縄」となっており、標準語の「お」段の音が沖縄方言では「う段」の音に代わっております。当然、「世」は「ゆ」、「沖縄」は「うちなー」と発音しているのですね。また、「大和」の発音が「ヤマトゥ」となっている点も注目されます。これはローマ字表記すれば「Yamatu」であり、o音がu音に変化しております。(歌詞)(こちらが迫力ありますね。)
魏志倭人伝に現れる国の名前に「奴」が多くあらわれ、これは「ヌ」と発音されるのですが、今日の「Xの国」という時の「の」を「ヌ」と発音しておれば、これを表記するに「奴」の文字を使うのも妥当となります。問題は「奴国」ですが、のちの儺の縣を「ナの国」と呼んでいた場合、似た音である「ナヌ」が「ヌ」の一文字になってしまったこともあり得るのではないかと思います。同様な省略は、魏志倭人伝に現れる固有名詞のあちこちで行われているように見受けられます。
ところで、上でご紹介した歌詞に「くぬ沖縄」という一節があります。この「くぬ」は、標準語でいう「この」で、o音がu音に変化した結果、「こ」が「く」に、「の」が「ぬ」に転じております。「くぬ国」は女王国と敵対した「狗奴国」と同じ音であり、和人が「この国」と表現したものを魏使が「狗奴国」と書き記した可能性もあります。
もっとも、出雲を「狗奴国」とする理由として、「雲の国」と呼ばれていた可能性もあると考えられ、この場合、国名は通常先頭一文字を使用するため、「クモノクニ」が「クノクニ」になったと考えることができます。
古代に各地で起きました反乱が「土蜘蛛」によるとされる例が多いのですが、この「ツチクモ」は、もしかすると出雲につながる人たちであったのかもしれません。まあ、女王国と狗奴国(出雲)が対立関係にあったなら、実際とは関係なく、女王国に敵対する人を狗奴国の仲間とみなしてしまった、ということであったのかもしれませんが。
古代に関する情報は、以下にまとめました。
俯瞰:邪馬台国目次
ヒコヒメ