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卑弥呼大和に国連本部を置く説

浦野文孝氏の7/16付けアゴラ記事「『卑弥呼博多/邪馬台国大和説』への招待」へのコメントです。


疑問1:邪馬台国が「女王が都を置いているところ」であり、「女王国」は邪馬台国ではないか。

回答1:魏志倭人伝には女王国の国名は書いてない。女王国と邪馬台国は別の国であり、「女王国」と「女王が都を置いているところ」の記述は無関係である。古代の日本列島には女王が複数いた。

良い着眼点です。少なくとも魏志倭人伝には、「南至邪馬壹國女王之所都」、「南は邪馬台国に至る、女王の都するところなり」と書いてあり、女王が邪馬台国を支配したかどうかは書いておりません。

倭人伝に書かれた多数の国々と、女王国(倭国)の関係を考えるのは、悪いことではありません。倭国が乱れて大きな戦があった後、各国が女王の下に一つの国を作る、というようなことが、果たして起こったのかどうか、ということですね。

今日に目を向けると、第一次大戦後に国際連盟が結成され、第二次大戦後に国際連合が結成されている。これと似たようなことが、3世紀の初頭ごろにあったのではないでしょうか。初代国連事務総長がすなわち卑弥呼、というわけ。で、当時の国連本部は邪馬台国に置かれたと、魏志倭人伝は書いたわけです。

当時の各国は、男王が支配していたのでしょうけど、卑弥呼を倭国の王としてしまった以上、彼らを王と呼ぶことはできない。そこで倭人伝では筆頭の「官」として彼らを記述した。奴国筆頭の官「兕馬觚」は「シマコ」と読むことができ、「儺のシマコ」は魏に朝貢した「大夫の難升米」と良い対応がとれております。ちなみに「大夫」は中国古代では土地持ちの貴族を意味し、王はこれに妥当いたします。同じ表現でないのは解せないかもしれませんが、別の人物がレポートした、ということでしょう。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A4%AB

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