茶請け氏の8/13付けアゴラ記事「SNSを批判する資格がオールドメディアにあるでしょうか?」へのコメントです。
我が国の大手マスメディアによる記事の捏造は、単に、新聞の売り上げが増えるように記事を書くといった、利益を追求する目的でなされているだけではない、という点に、この問題の深刻さがあるように、私には思われます。
それは、メディア関係者が持つ「正義感」、「この世の悪人を探し出して成敗する」といった使命感の『暴走』があるように思われ、その裏には、「俺たちは正義の味方」、「一般人に優越した存在」といったエリート意識なり、差別意識があるように思われる点なのですね。
本人たちが罪悪感をもって悪事を働いているなら救いようがあるのですが、正義感、使命感に基づいて悪事を働いているのだから救いがない、つまりそういうことです。
これは、サンゴ落書き事件で強く感じたことなのですが、このサンゴには、もともとK.Y.というイニシャルが刻まれていたということなのですね。だから、「サンゴを傷つけるやつを俺は許さない」、と考えることは正義感の発露だし、新聞記者としての使命だと感じても不思議はない。この写真を新聞一面に掲載したら、誰かがK.Y.を探し出して糾弾してくれるのではないか、これはさほどおかしな考えでもないのですね。
ところがここに問題があって、サンゴに付いた傷がほとんど目立たない。写真写りが悪い。だから懐中電灯の柄で分かりやすく加工して写真を撮った。その己の行為がサンゴを傷つける行為にほかならず、自らが悪人と断定する人と同じことをやっていることに思いが至らない。この『奇矯な正義感』なり『メディア関係者のエリート意識』といったものが、修正されてしかるべき、問題の根っこなのではないでしょうか。
考察のための倉庫
・奇矯な正義感とは誇大妄想的な精神疾患の一種ではないか
・誇大妄想狂とナポレオン:ナポレオンを略してNAPと呼ぶことがあるが、米国がカナダを併合したら、その大統領はNorth American Presidentになる。「名実共」という言葉がなぜか浮かんだが、この先は考えないことにする。
・どうでもよいことだが ”Napoléon Bonaparte” には文字列 "NAP" が二つも含まれている。