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家畜化した日本人とバブルは別

池田信夫氏の8/24付けアゴラ記事「『家畜化』した日本人はリスクをきらって貧しくなった」へのコメントです。


「『株屋』っていうのは信用されないんだよ」などということを一国の総理がごくあたり前のように口にする国ですから、こうなるのもあたり前。戦後の平和教育、民主主義教育による行き過ぎた平等の刷り込みがそういう風潮を作ってしまったともいえるでしょう。株は弱肉強食の世界、みんな平等の利息が得られる貯金とはわけが違いますから。https://www.nikkei.com/article/DGXLASDF30H16_Q6A830C1PP8000/

とはいえ、では戦前の日本人がアニマルだったかと言えば、そういうこともない。中にはそういう野生人もいたでしょうけど、推奨されたのは『御奉公の精神』。己を捨ててお国のために励むことこそ、日本人の鏡とされていたのですね。家畜です。

で、これが明治維新でそうなったかと言えば江戸時代から変わっていない。結局のところ、農耕民族というのは、集産主義が骨の髄までしみ込んでいて、これを改めることはそう簡単なことではない、ということでしょう。そして、これを改めることこそ、今日の我が国が取り組まなければいけない、最重要課題なのですね。

というわけで、ここまでは良いのですが、1980年代の不動産バブルは、日本人の貯蓄好きが原因かといえばそうとばかりも言えません。第一に、70年代の後半から輸出が増加し国内にキャッシュがあふれる。第二に、1985年のプラザ合意以降進んだ急速な円高に伴う不況対策として、常識的な手段である、金利の低下がなされたのですね。

80年代後半の日本には、キャッシュがあふれかえった。バブルになるのはあたり前です。それを1990年に一気に引き締めに転ずるからバブルが崩壊する。円高で困窮する国内産業に対する対策は、国債発行による内需拡大で行くしかない。これが今日まで続く、我が国の財政問題の顛末というわけ。小泉、安倍の両宰相時代を除くと、この面での我が国には、進歩というものがほとんど見られない。嘆かわしい限りです。

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