池田信夫氏の9/22付けアゴラ記事「プラザ合意が不動産バブルを生んだ」へのコメントです。
以下の部分ですが、正しいことは正しいのですが、大事なことが漏れているように思われます。
為替レートは1ドル=120円まで上がり、円高不況になったので、日銀は公定歩合を史上最低の2.5%まで下げた。おかげで金余りになったが、ちょうど1985年の日米円ドル委員会で金融自由化がおこなわれ、大企業は割安になったユーロなど海外で借りるようになった。このため銀行は(それまで取引のなかった)不動産業者に融資した。
為替レートが120円まで上がった結果、国内産品の輸出競争力がなくなり、自動車工場や電機製品の工場の海外移転が進んだのですね。この結果、国内での投資がシュリンクしてしまった一方で、日銀は金利を引き下げ、大量の資金を国内に提供したため、行き場を失った資金が不動産などに流れた、ということですね。
重要なポイントは、国内での投資機会がほとんどなくなってしまったこと、国内では多くの産業が成り立たない、企業は国内で利益を上げることが困難になってしまった。これが最大の問題で、1980年代の後半では、その主な原因は円高と、貿易摩擦の結果の輸出自粛等であったわけですね。
実は、国内に利益の上がる投資先が少ないという問題は、今日に至るまで続いております。結局のところ、これが『失われた30年』の主因なのですね。そして、国内に利益の上がる投資先が少なくなってしまったのは、為替の行き過ぎた円高のほか、1995年以降急速に発展した情報革命に乗り遅れたことがこのような結果を招いたのでしょう。
1985年当時の適正水準は165円と考えられており、150円を切った段階でドル安阻止を旨とするルーブル合意がなされております。幸い昨今のドル円は、この水準に近付いており、あとは、新しい技術をモノにする、柔軟な国内諸制度への切り替えで失われた30年にもそろそろ終止符が打てるのではないかと思います。それには、金利操作だけではなく、科学技術政策や、雇用をめぐる諸制度の整備など、幅広い政策対応が求められるでしょう。
以下、ブログ限定で、いくつかの情報を追加しておきます。
まず、昨年も指摘したのですが、プラザ合意前後の我が国の為替政策をめぐる状況は、内閣府がまとめた「バブル/デフレ期の日本経済と経済政策」という文書に詳しく書かれております。この第1巻2部2章の「プラザ合意後の円高の進行と円高不況」のpdf40-41頁に書かれた1987年の宮澤蔵相とベイカー財務長官との会談内容は、重要なポイントを示唆しております。
最近の為替相場の不安定は特に協力すべき事態である.(具体的には明言できないが)抽象的にいって(日米両国が)必要なら有効な措置をとると申し上げていいだろう.(日本側が1ドル=165円が適正水準と米に伝えたのではとの見方について)相場の水準についてはベーカー長官同様言えない.(この点で突っ込んだ話し合いがあったのかとの質問に)米国へ行って話し合い,だいたいよかったと思っているのはそういう点だ.日米両国は5ヵ国蔵相会議(G5)の早期実現に努力すると考えてもらって結構だ.
為替安定には日米蔵相会談だけでなく多国間での政策協調が必要との見方を示し,G5ないしG7の早期開催希望を表明した.ただし,「再び1ドル=150円を突破するような事態に対しては,従来通りのドル買い市場介入で対応する方針.また単独介入で抗し切れないような場合は,G5開催にとらわれず日米蔵相会談に基づいて二国間レベルでの政策協調を米国に求め,かつ利下げも弾力的に発動する構え」とも報じられた.
ここで分かることは、当時妥当と考えられていたドル円水準が165円であったであろうことと、150円/ドル以上円高が進むことは危機的状況であるということ。つまりは、その後に120円/ドルなどという時代が続いたことは、過度な円高の時代が続いてしまった、ということなのですね。これでは『失われた30年』がかくも長続きしたのも無理はないといえるでしょう。
この165円という為替水準は、1970年代に急速に技術力を増した我が国の電機・自動車産業の実力からして妥当な水準ということであり、その後さらに我が国の工業技術力が進歩すればより円高水準が妥当となることもあり得ました。ところが、その後のわが国は、1990年代に急速に進歩した情報通信技術をモノにすることができなかった。これは、GAFAMのけん引する米国経済が急成長を続けたことと対照的だったのですね。
この時代の情報通信技術は、単に、コンピュータなどの電子製品に限られるものではなく、ネットを用いた流通やメディア産業なども含まれるのですね。例えばNetflixやFuluは、かつて電波で行っていたテレビ放送をネット経由に変え大成功を収めております。これらがネットの利用を積極的に進めたのは2007年以降だったのですが、これに先立つ2005年には、ネットとテレビの融合を掲げてフジサンケイグループ買収を仕掛けた堀江氏がありました。この動きは微罪で起訴され有罪判決を受けることでとん挫したのですが、今日のNetflixの株式時価総額はフジ・メディア・ホールディングスのなんと100倍もしております。このような我が国の対応が一つの可能性をつぶしたことは、心にとめておかなくてはいけません。
同様な話はほかにもあって、例えば三木谷氏がプロ野球参入を図った際の渡辺恒雄読売新聞主筆の「そんな奴、わしゃしらん」などというセリフも印象に残っております。三木谷氏の楽天は、我が国におけるアマゾン類似の試みであり、本来は、このような活動を我が国も積極的に盛り立てなければいけないところでした。
その他、以前も書きましたけど、スイスは金融ビジネスで高いGDPを得ているのですが、「安ければ買うし高ければ売るのは当たり前」、との村上被告の言葉に対する裁判官の言葉「このような徹底した利益至上主義には慄然とせざるを得ない」をみれば、金融立国など日本には絶望的。我が国は、このような部分も、改めていかなくてはいけないのですね。
結局のところ、我が国に新しい技術が育たない理由は、古い企業がある種のネットワークを形成して、新しい企業の参入障害となっていること、我が国の文化として、新しい形での利益の獲得に嫌悪感を示す人たちが存在するということ、変化を嫌う社会体制があるということでしょう。これは、マスメディアや銀行などの護送船団方式と言われる企業群や、「御三家」などと呼ばれる企業が存在する電話サービス、電力会社などに特に顕著であるように思われます。
これまでは、情報技術の社会的利用において、我が国は後れを取ってしまったのですが、この先起こる大きな変化はエネルギー分野で生じるように私には思われます。これに際して、電力会社の古臭い考え方が障害になる可能性も高いのではないかと危惧するのですね。
我が国は伝統的に、素材技術や電波関連デバイスに強いという伝統があり、磁性材料、超電導素材、軽量高強度素材(CFRPなど)では引き続き世界の先端を走っております。これらをうまく活用できれば、情報産業でも、エネルギー産業でも、優位なポジションを得る可能性は大いにある。そのチャンスをものにするには、固定的な考え方を捨てて、柔軟な発想を大事にすること。若くても優秀な技術者に自由に研究させることなど、我が国の在り方を少しずつ変えていく必要があるのではないかと思います。
最近の自民党総裁選を見ておりますと、斬新な発想の高市氏、若い小泉氏、頭のよさで定評のある林氏あたりが次期総理になる可能性が高まっております。このお三方なら、だれが総理になろうとも、上に書きましたようなことが少しでも前に進むのではないでしょうか。まだまだ我が国、捨てたものでもないように思うのですが。
円安がんばれ🚩😃🚩