アゴラ編集部の10/20付けアゴラ記事「アメリカでホワイトカラーの半数以上がブルーカラーに転職を覚悟?」へのコメントです。
もっとも影響を受けるのは文系ホワイトカラー(事務・営業・企画など)で、AIに仕事を奪われる。
AIにできるような仕事をしている人は、AIに仕事を奪われる。これはあたり前の話です。でもAIにできない仕事は山のようにあります。AIにできるような仕事というのは、機械的に帳簿をつけるような作業や、報告・連絡・相談が業務の中心であるような仕事で、数値的、論理的に遂行できるような業務はそもそも計算機の得意とする領域なのですね。
文系ホワイトカラーの仕事でも、実は、論理を超えた暗黙の知が重要だというのですね。例えば、石井淳蔵著「ビジネス・インサイト―創造の知とは何か」は、そういったひらめきがビジネスを大いに前に進めた実例がいくつか紹介されております。同書が扱っているのは、経営判断に近い部分が中心なのですが、お客相手の仕事でも、お客の心理を読み取るようなことは、なかなかAIにはできない。これは、対面業務でも、報告書を読み解く業務でも同じようにできる話でしょう。
理系のホワイトカラーになりますと、こちらはほとんどブルーカラーですらあります。つまりは、自分で工作機を扱い、ガラス器具で薬品を混ぜ合わせ、電気炉に無機粉末を挿入する。えらく泥臭いことをやりながら、物自体が発する微妙なシグナルをかぎ分けて大きな価値を創造していく。それが実は最先端の仕事というもので、ボタンを押せば結果が出てくるような仕事は、下の下なのですね。
今の日本に欠けているのは、高度専門職を遂行できる人間で、文系にせよ理系にせよ、AIなどではとても生み出せない、従来の知識や論理を超越した、大きな価値を創出することができる人間なのですね。それができれば、AIに仕事を奪われる恐れもない。我が国の教育が育てるべき人材はこうした人たちだと、心得なくてはいけません。
1964年のビートルズ、その違和感には、笑ってしまいます。失礼な話だけど。(こんなのも)