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中国総領事、礼を失するときは

岡本裕明氏の11/13付けアゴラ記事「高市発言 vs. 中国総領事発言」へのコメントです。


私はこの報(注:その汚い首は一瞬のちゅうちょもなく斬ってやるしかない)を聞いた瞬間、ペルソナノングラータ(追放)を直ちにすべきだと考えました。理由は総領事とは一定の権限を持った公人であり、その人がここまで品格がなく、殺人鬼を想起させるような発言をしたことは仮に高市発言が引き金であったとしても論外なレベルにあるからです。こんなのは悩む必要はなく、直ちに国外に出してよろしい。

小学生の喧嘩言葉に「馬鹿っていう奴が馬鹿だ」というのがありますけど、実際そうなのですね。つまり、汚い言葉、使うべきではない言葉を使うという行為は、発言者の方を傷つけていることに他ならない。小学生もよくご存じです。

このせっけん氏の発言も「馬鹿」と言ってるのと大して違わず、「中国では、高位にある人物も、人間的には相当に劣っているね」という印象を世界に振りまいているだけの話。まさか、高市氏の首が汚いとか、ひょっとすると首が切られるかもしれない、怖いことだ、などと考える方はおりますまい。

昔の人は言いました。「中國失禮求之四夷猶信」とね。日本語に訳せば「中国が礼を失えば、これを四夷(周囲の低開発国)に求めるのはいまだ妥当だ」です。これ、三国志東夷伝序文で、これが引いているさらに古い文献があったはずですけど、孔子さんあたりかな? 

いずれにせよ、皆さんよくお分かりです。中国要人の方々に置かれましては、石破さんあたりを訪ねて、とくとくと礼について講釈していただくのが良いのではないかと思いますよ。


(以下はブログのみ)ちょっと気になったので調べておきました。

まずネット情報(魏志倭人伝重要語アプローチ)によれば、「中國失禮,求之四夷,猶信。」の訳を「中国はすでにその祭の儀礼を失ってしまったが、(孔子が)それを四夷に求めたことは、なお信じることができる。」としております。中国が祭りの儀礼を失ってしまったという解釈では筋が通らず、ここは「失えば」と仮定形と考えるのが妥当でしょう。

そして、同文書によれば、これを孔子の言葉とする理由として、『漢書 卷二十八下 地理志第八下 燕地条』の「然東夷天性柔順 異於三方之外 故孔子悼道不行 設浮於海 欲居九夷 有以也夫 樂浪海中有倭人 分爲百餘國 以歳時來獻見云」をあげております。

実は、この言葉それ自体は、孔子の論語にはなく、ネットのAIサーチの結果は以下の通りでした。

「孔子悼道不行 設浮於海 欲居九夷」という言葉の元になっている文献は、中国の古典**『論語』**です。

ただし、この言葉は『論語』の中の2つの異なる記述を組み合わせたものです。

「道不行、乗桴浮於海」(道行われずんば、桴に乗りて海に浮かばん)
これは『論語』**「公冶長(こうやちょう)第五」**の章にある言葉です。孔子が自分の理想とする政治的・道徳的な教えが世に行われないことを嘆き、「いかだに乗って海にでも出てしまおうか」と語ったものです。

「欲居九夷」(九夷に居らんと欲す)
これは『論語』**「子罕(しかん)第九」**の章にある「子、九夷に居らんと欲す」という言葉です。孔子が東方の異民族(九夷)の土地に移り住みたいと願ったという記述です。

「孔子悼道不行 設浮於海 欲居九夷」という表現は、これら二つの章句の意味を統合し、孔子が世を儚んで九夷(東方の未開の地とされる地域、一説には日本列島も含まれる)へ行こうとした、という解釈や表現として用いられることがあります。

もう一つの調査結果をご紹介します。手法は同じくAIサーチによります。

「中原の礼を失わば、四海に船を浮かべ夷敵に之を求めん」は、中国三国時代の呉の初代皇帝である孫権(そんけん)の言葉とされています。この言葉は、日本の小説家である吉川英治の『三国志』の中で、孫権の台詞として登場する場面が有名です。

意味と背景

この言葉の正確な原文や出典は中国の正史や古典には見当たらず、吉川英治による創作、あるいはそれを下敷きにしたものである可能性が高いです。

『三国志』において、この言葉は以下のような意味合いで解釈されています。

意味: 「もし中原(中国の中心地)から礼儀や道徳が失われてしまったなら、私は喜んで四方の海に船を出し、たとえ夷敵(異民族や外国)からでも、その礼儀や道徳を探し求めて手に入れるだろう」。

背景: 孫権が、人材の登用や国の統治において、家柄や出自、あるいはその時点での領土にこだわらず、真に価値のある人物や教えを広く天下に求めようとする、その度量の大きさや柔軟な姿勢を表しています。特に、当時の中国では「中原」が文化の中心とされていたのに対し、「四海」の「夷敵」にまで目を向けるという発想は、非常に革新的でスケールの大きいものでした。

この言葉は、孫権の人材登用における公平さや、広い視野を持った統治哲学を示す象徴的な言葉として知られています。

もちろん、吉川英治氏が創作した言葉を漢書や三国志が引用しているわけもなく、論語に基づいて漢書なり三国志なりが記述した言葉に基づいて、吉川英治氏が創作した、というのが妥当なところでしょう。

もっとも、せっけんさんにご提示する言葉としては、吉川英治氏の言葉が妥当かもしれません。中国人の言葉だと思ったら、日本人の創作だった、なんていうのも、ちょっとおもしろいですよね。