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ホワイトカラー=シロアリ論?

アゴラ編集部の11/16付けアゴラ記事「AIと不確実性の増大で米国の大卒ホワイトカラーの採用が激減」へのコメントです。


AIの普及でホワイトカラーの入り口業務が急速に置き換えられ、「大卒=安定」の神話がついに崩れようとしている。

これは不思議な現象ですね。一般的に、技術が進歩すると、生産性が向上する。つまり、人々の生み出す価値が増大し、GDPが増大し、給与総額も増加する。多くの場合、食料生産も増加し、社会の養える人口が増加した結果、人口増にもつながるのですね。

でも、AIに関してはそうではない。これは非常に不思議な事なのですね。そして、その理由は、ひょっとすると、今日の社会組織全般が抱えているある種の病理によるのかもしれません。もしそうだとすると、この結果は恐ろしいことになるだろうし、その先、真に効率的な社会が誕生するかもしれません。

その可能性と言いますのは、今日のホワイトカラーの多くが、社会的には実は価値を生み出していない、いわゆる「シロアリ」だったのではないか、ということ。彼らは組織内の権限を握り、同種の人間の間でこれをたらいまわしにすることにより、シロアリ集団を組織内部に抱え続けていた、という可能性です。

この場合、同種業務がAIに置き換わった際、ホワイトカラーであった人たちは、これまでの給与に見合う価値を生み出すことができないことに気づく。彼らの給与は、既得権を握っていたという、それだけの理由に支えられていたのですね。これは、大きな混乱のもとになりそうですが、効率的な社会に変革する上では避けられない混乱ともいえる。この混乱を最低限に抑えるためには、真に価値を生み出せる人材を育てること。これは、教育の場でも、組織の内部でも、直ちに実行すべき課題だと思います。まあ、これは、一つの可能性であって、それがいらなければ、多くの人には幸福な話ではあるのですが。


以下、Blog限定で、ホワイトカラーシロアリ論をちょっと深化させておきましょう。

何が問題か

一般に、新しい技術が利用されるようになると、生産性が向上し、より多くの富が生み出されるようになります。人類史の古い段階では、狩猟に代わり農耕技術が使われるようになると、食料生産が安定化し、より多くの人口が養えるようになる。合成肥料の発明による「緑の革命」もより多くの人口が養えるようになったのですね。

同様のことは、蒸気エンジンの発明による「産業革命」もありましたし、近いところでは、1980年代以降の情報技術の爆発的利用もありました。後者は、GAFAなどに代表される米国のIT企業が急成長し、米国のGDPを急速に押し上げました。

そこで今回のAI技術の実用化なのですが、これがどのように経済を発展させ、人々の富を増大させるかとなりますと、なかなかその道筋が見えてこない。さしあたり、知的職業人とされたホワイトカラーの業務を代替してくれそうなのですが、では、ホワイトカラーの生み出していた価値を増大させるかと言えばそんなこともなさそうなのですね。結局は、ホワイトカラーがやっても、AIがやっても、生み出される価値は同じ大きさであるということ。より高い能力を注入することでより多くの富が生み出されるわけではない、ということである様子なのですね。そうであるからこそ、AIの導入によりホワイトカラーは職を追われる。そうであるとしか考えられない。なぜこんなことになるのでしょうか。

一つ考えられる原因は、実はホワイトカラーは、自らの生み出している価値はほとんどない「シロアリ」であったのではないか、という疑惑で、彼らがその職にとどまっておられる理由は、能力ではなく「忠誠心」によるつながりにより、ある種の既得権益が生じていたためではないか、ということなのですね。

忠誠心が重視された例

このようなことが明るみに出ることはあまりないのですが、例えばフジメディアホールディングスの不祥事に関して、様々な問題があったにもかかわらず、日枝氏が権力を掌握し続けたのはなぜか、という点が疑問視されたのですが、日枝氏が人事権を事実上掌握しており、日枝氏に忠誠な人物により良いポストを与えるという人事が定例化していた点が挙げられております。

この詳細を知ろうと、「フジメディアホールディングスで日枝氏が権力を掌握できた理由は」とGoogleに質問した結果、次の回答を得ております。以下はその結果であり、赤字部分にまさに忠実さを重視した人事が行われた旨の記述があります。

フジメディアホールディングスにおける日枝久氏の権力掌握と長期政権は、主に以下の要因の組み合わせによって実現しました。

長期的なリーダーシップと実績:
日枝氏は1980年代のフジテレビの「楽しくなければテレビじゃない」という「軽チャー路線」を編成局長として打ち出し、年間視聴率3冠王を12年連続で達成するなど、同局の黄金時代を築いた立役者でした。この輝かしい実績により、社内での圧倒的な信頼と影響力を獲得しました。
1988年に社長に就任して以降、2025年3月に退任するまで、40年近くにわたり役員級のポジションに在籍し続けました。この長期間にわたるトップの座が、権力基盤を強固なものにしました。

人事権の掌握と人心掌握術:
日枝氏は、自身に忠実な人物を重要なポジションに配置することで、人事権を強烈に掌握しました。これにより、社内の異論を封じ込め、自身の意向が組織全体に行き渡る体制を構築しました。
労働組合での活動経験などを通じて培われた人心掌握術も、権力維持に大きく寄与したと言われています。

創業家との関係と「クーデター」:
創業一族である鹿内家の当主、鹿内春雄氏を社長時代に支え、信頼を得ていましたが、春雄氏の急逝後、1992年には後継者の鹿内宏明氏を事実上の「クーデター」によって追放し、自らがグループのトップに君臨しました。これにより、創業家による影響力を排除し、権力を集中させました。

政治家との密接な関係:
一部報道では、日枝氏が有力な政治家と密接な関係を築いていたことが、その影響力をさらに強固にしたとされています。

これらの要因が複合的に絡み合い、日枝氏はフジメディアホールディングスにおいて長期にわたる強大な権力を掌握することができました。その体制は「異常な権力構造」「日枝天皇」などとも呼ばれ、2025年になってようやく完全退任に至り、経営刷新が図られることとなりました。

同様の人事は、米国でも行われた旨の記述が、J・パトリック・ライト著「晴れた日にはGMが見える」にあります。同書はGMの副社長まで務め次期社長候補と目されながら突然辞任したジョン・Z・デロリアンに対するインタビューを元に書かれた書物であり、GMの経営の内部をうかがい知る貴重な資料なのですね。同書に関しては、本ブログの別記事でも紹介しております。

風采、スタイル、個性がGMの型と合致していれば、かなり「忠誠な」従業員になりかかっている。が、「忠誠」はそれ以上のものを要求する。それはしばしば、上司への忠義立て、現実の場での盲従を要求する。GMの従業員は、職場でビジネスを学ぶのと並行して忠誠を学ぶ。忠誠は公けの論理になる。それは、チームプレーの一環である。例えばピート・エステスは、「上司への忠義立て」の要を再々、力説したし、それを要求したし、それを得た。

GMでは、このような経営を長年続けた結果、技術的な進歩がほとんどなく、1970年代の環境問題の高まりと石油危機に伴う燃料価格高騰を受けた、クリーンで低燃費の自動車という要求に応えられず、これらの要求にいち早く対応した日本の自動車メーカに米国自動車市場を奪われる結果となりました。

忠誠心評価の問題点

忠誠心で成り立つ組織とは、能力ではなく忠誠心に基づいてポストを割り当てるため、それぞれのポストに就いた社員は、新しいことをやりにくいという問題が生じます。これは、前任者の仕事のやり方を否定することになってもいけないし、そもそも新しいことを始めるための能力も十分あるわけでもない。一般に、このような社員は、MBAコースで経営学を学ぶといったことはせず、日々の業務を遂行する過程でやり方を学びますので、従来の業務を超えたことはやりにくい。

従来と同じ業務を続ければよいということであるなら、これを機械化することもさほど難しくはない。つまり、AIがホワイトカラーにとって代わることも容易です。でも、経験に基づく従来業務の延長が彼らの業務であり、AI化したといっても、これまでの業務で生み出されていた価値以上の価値を生み出すことは難しい。新しい価値を生み出すためには、業務のやり方を改善しなくてはいけない。これが、これまでのシロアリ型ホワイトカラーに欠けている部分であった、というわけです。

AI時代のホワイトカラー

問題の所在が明らかになれば、対処も容易でしょう。まず、従来から引き続き同じ業務を行っているなら、これはAIに置き換えるべきです。AIを超えるホワイトカラーのなすべき仕事は、業務をいかに効率化できるかを考えること、いかにして現在自らが手中にしている経営資源でより多くの価値を生み出すことができるかを考えることなのですね。

これに必要な能力は、技術環境や市場に関する知識を常に最新のものに保つこと、これらを業務に生かすための、数値的、経営学的手法をマスターすること、これを上司や同僚にきちんと説明できるコミュニケーション能力などが要求されます。

そして、だれをポストにつけるかを選定する際には、忠誠心ではなく、必要な能力を評価すること。ポストにつけた人間にはポスト固有の権限を与え、定期的に結果を評価して、能力評価をアップデートすること。この際の着目すべき点は、いかに多くの価値を生み出しているか、という点になりますし、現在価値のほかに、将来価値もきちんと評価しなくてはいけない。この将来価値とは、技術の蓄積や人材の育成、有力顧客の獲得など、今期の利益を生み出してはいないけれど、先々の利益に貢献すると期待される要素なのですね。

失われた30年に至る道

1960年代から1970年代にかけて、日本の産業は奇跡的な成功を収めました。これが1995年以降「失われた30年」と言われるような低成長時代へと移行した原因も、ホワイトカラーのシロアリ化にあった可能性もありそうです。

戦後の焼け跡から復興した日本の工業は、1950年代の朝鮮戦争特需によりよみがえったのですが、輸出の増加に伴い1960年代には電機・自動車の輸入自由化を強く求められることになります。当時の我が国のこれら工業は、まだ規模も小さく、米国のGE、GMといった巨大産業とは競争にならないのではないか、と危惧されました。そこでこれらの業界は、徹底的な生産合理化を進め、「日本式生産システム」を確立していったのですね。この過程では、ホワイトカラーも能力の限りを尽くすしかなく、シロアリ化は不可能でした。

1970年代になりますと、公害問題が深刻化し、さらにはOPECが原油価格決定権を握ったことから石油ショックが起こり、「エネルギー危機」が心配されます。これに対して、我が国の産業界は、環境問題への対応と省エネ化を徹底的に進め、世界的にも競争力のある製品を安価に製造し、輸出するようになったのですね。1979年に出版されたエズラ・ヴォーゲル著「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などは、この時代の日本の強さを象徴する代表的な書物でした。

しかし、我が国の輸出の増加とこれに伴う貿易黒字の増大は、それ自体が問題視され、1985年のプラザ合意に至ります。ここで、それまで200-250円/ドル程度の為替水準を1割以上円高に向かうことを要求され、1ドル165円程度を目安に為替介入が行われました。しかし、ドル円はこのレベルでは止まらず、最終的に100-120円/ドル程度の水準まで円高が進んだのですね。この過程で、150円/ドルを超える円高はさすがに行き過ぎと、ルーブル合意がなされたのですが、これは功を奏しませんでした。

この円高の結果、輸出産業は衰退し、中小企業の倒産が相次ぐなど、深刻な不況に陥ります。これに対して我が国の打った手は、まずは金利を引き下げたことなのですが、これで輸出企業が息を吹き返すわけもなく、低金利資金は国内不動産と株式に向かい、バブルが発生します。1990年にバブルを鎮静化すべく金利の引き上げを行ったところ、バブルが崩壊し、不良資産を抱えた多くの企業が行き詰まると同時に、不良債権を抱えた金融機関が実質的に行き詰る「金融危機」へと突入します。

金利の上昇とともにさらなる円高が進み、1995年には、瞬間的ですが、ついに1ドル80円を割り込みます。この結果、我が国の多くの輸出産業は、国内立地が困難となり、中国や東南アジアなどへと逃避いたします。この結果、深刻な不況(円高不況)に陥り、この対策として「外需から内需へ」の掛け声の下、公共投資が活発になされ、その資金手当てのため、国債発行残高が積みあがることとなります。

情報革命とAIに対応するには

マイクロプロセッサの登場に始まる情報革命は、1980年代から徐々に進み、インターネット接続を容易にしたWindows95の発売された1995年がインターネット元年と呼ばれるように、急速に情報通信網の整備が進みます。

この時点で、我が国の企業も、業務のありかたを、これら情報技術を生かす形のものへと変質させなくてはいけなかったのですね。しかし、当時は不況の真っただ中。1993年〜2004年前後は「就職氷河期」と呼ばれるような就職難に陥っておりました。こんな時に、実力主義での人事は困難で、多くの企業が忠誠心重視の人事へと移行してしまったのではないかと思われます。一旦このようなやり方に陥ってしまいますと、なかなか実力主義には戻せない。これが失われた30年の一つの理由だったのではないでしょうか。

もちろん、1985年以降の行き過ぎた円高も、失われた30年の大きな理由だとは思いますが、他国がこの30年間にGDPを数倍に拡大しているにもかかわらず、我が国のGDPは、ほとんどフラット。これには、我が国固有の原因があると考えるしかありません。その一つの理由が、バブルとその崩壊、金融危機と就職氷河期の存在ではないかと考えられるのですね。そしてこれらが長期停滞を招くメカニズムが、ホワイトカラーのシロアリ化にあった。これが一つの合理的説明になるのではないか、と考えている次第です。

そうであるなら、実力重視の人事制度に移行することで、失われた30年を脱却することもできるだろうし、そのためにはAIの登場が大きなきっかけになる、ということも期待されます。さて、いかがなりますか。この波、我が国の未来には、明るい要素もあるのですが、一つ乗り損なうとひどい目にあいそうで、恐ろしいものがあったり致します。皆様も十分ご注意ください。