岡本裕明氏の12/11付けアゴラ記事「北米労働市場の危機感:仕事のクオリティが下がり物価は上がる悪循環」へのコメントです。
クオリティとジョブ・ディスプリクションという考え方は、必ずしも両立するものではない、というところに注意しなくてはいけません。すべてを形式化し、責任と権限を明白化しようといういき方は、確かに西洋合理主義の到達点ではあるのでしょうけど、人間本来の能力をフルに発揮するためには、形式化できない知や能力も使いこなしていかなくてはいけないのですね。
ロバート・パーシグの「禅とオートバイ修理技術(ハヤカワ文庫)上・下」は、オートバイで全米を旅するヒッピー的人物が思想を語る興味深い書物なのですが、彼が重視する概念が「クオリティ」なのですね。そして彼は、クオリティは理性や論理を超越した概念である、と述べます。
クオリティの重視は、トヨタのQCサークルで有名で、何とミッシェル・マフェゾリの「小集団の時代」でも分析されている。こちらはポストモダンの社会現象を解析した書物ですが、そこまで言わずとも、クオリティは意識を共有する「コミュニティ」で扱うべき概念であり、マフェゾリの言う小集団はコミュニティに他ならないように思えます。
コミュニティとは、「帰属意識」と「役割意識」と「相互依存関係」に基づく人々の集団で、役割意識がジョブ・ディスクリプションに対応しているのが面白いところですが、大事な点は、契約関係というよりは意識的、情緒的なつながりであるということ、モラール(士気)で結びついた人々だということなのですね。
コミュニティ的小集団は、QCサークルが成功しているように、日本的組織でも可能だし、「リポート・トゥー・ボス」の原理で動く米国的組織でも可能です。後者の場合、ボスの指導力でチームメンバーの意識をまとめていく。これがかなめであること、QCサークルのチームリーダの役割と同じことなのですね。