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小宮山洋子氏の4/16付けBLOGOS記事「原発処理水、海洋放出決定 柏崎刈羽運転禁止」へのコメント

小宮山洋子氏の4/16付けBLOGOS記事「原発処理水、海洋放出決定 柏崎刈羽運転禁止」にコメントしました。なお、福島のトリチウム汚染水からのトリチウム回収技術に関しては、別記事でご紹介しています。


科学的根拠もそうですけど、理念という部分もよく考えなくてはいけません。

私には「薄めて流す」という言葉を簡単に口にするセンスがよく理解できないのですが、薄めて流すことが一般的に許容されるのであれば、廃棄物問題など、最初から存在しないのですね。核のゴミにしたところで、微細化し、液化して、薄めて流せばよい。下水や河川水で足りなければ、海水をくみ上げて薄めれば、いくらでも薄めることができるのですね。何を大騒ぎしていたのでしょうね。

もう一つのポイントとして、一般に、有害物質の排出は、それ自体が好ましくないことではあるのですが、経済とのバランスをとるため、技術的に可能な水準で濃度基準なり量的基準を定めている。その線引きは、他の人びとにも適用されるわけですから、個々の排出それ自体が有害か否かという判断基準によって定めているわけではないのですね。

更に考えておかなくてはいけないポイントは、今回の問題は、地震という自然災害により原発事故が起こってしまったという偶発的事態が背景にある。だから普通の工業プロセスとは異なる、ある種の甘い基準が適用されてもおかしくはない。でもこれを適用するためには、できることはきちんとやらなくてはいけない。最初から「薄めて流す」ありきで、他の可能性の検討がおざなりであったとしたら、それは許されるべきではないのですね。

その他、韓国の原子炉の排水に多くのトリチウムが含まれていることは理由になりません。なぜなら、原子力発電は、発電という、人類に有益な活動を続けており、その益の一方で放射性物質の放出という害も発生させているわけで、益と害とのバランスで益が勝ると考えられるからそれが認められているわけですね。福島のトリチウム排水処理を考える際は、そうした背景も議論されなくてはいけない。単にトリチウムの濃度や量が問題になるという話ではないのですね。


返信がついております。

植之原 雄二

論旨が、デベートっぽいですね。

>なぜなら、原子力発電は、発電という、人類に有益な活動を続

>けており、その益の一方で放射性物質の放出という害も発生さ

>せているわけで、益と害とのバランスで益が勝ると考えられる

>からそれが認められているわけですね。

今放出しようとしている処理水は、発電の結果生成されたもので、放出が遅れているだけです。問題になっているトリチュム等が事故で発生したものと勘違いされていませんか。

今、貯留されているものは発電時に生成されたものなので、瀬尾様の論だと、益と害のバランスで益が勝ると考えられるので放出して当然となります。


瀬尾 雄三

植之原 雄二 さん

貯留されているものは、放射性廃棄物なのですね。これを分類すれば、核のゴミと同じカテゴリーに属します。

廃棄物をどうするかという問題と、稼働中のプラントからの廃水をどうするかという問題は、別の問題だ、ということ。廃水廃ガスは、プラントを運転する以上発生してしまうわけで、この排出はプラントの運転に欠かせないものであるわけです。

福島の廃水は、敷地をきちんと防水処理すれば発生しない類のものであり、これをきちんと対策できていないから発生しているわけですね。つまりは、怠惰・無脳の類が害の他方にあるわけで、このバランスはとうてい取れるものではありません。

まあ、厳しい言い方をすればそうなる、ということです。いろいろと事情はあるとは思いますけど、基本的な考え方が間違っていると思いますよ。


植之原 雄二

瀬尾 雄三 稼働中のプラントからの廃水も放射性廃棄物ですよ。プラントもきちんと処理すれば、廃水廃ガスも出さずに済むはず。そうなるとプラント運転中に海洋投棄するのも単なる怠慢ですよ。過激な反原発派にしたら単なるトレードオフでは済まされないでしょう。勿論、技術的には難しいからトレードオフで「誤魔化し」ているわけです。

瀬尾さんは、原子力の専門家とは思えない。放射性廃棄物の生成過程も正しく理解されていないと思いますよ。だから、こんな結論になると思いますがね。これ以上説明しても、私の言っていることを理解できないと思います。

原子炉工学等を生半可に理解した人には、放射線被曝のLNT仮設でも同じような誤解をしがちです。詳細は省略しますが、何百回説明しても、さっぱり理解できないものです。原発の問題には、そんなものが多いです。

これって、原子力の専門家と言われている人でも陥っている人は結構多いですから、あまり気になさる必要はないです。


瀬尾 雄三

植之原 雄二 さん

原子力周辺の世界というのは、ある種特殊な世界で、外部からは理解しがたい、ということなのでしょう。

私もかつては、環境対策に携わったことがありますけれど、普通の世界では「薄めて排出する」ということばは、まず使わない。

原発が特殊な世界というのが世界共通であればよいのですが、我が国だけがそうであると致しますと、我が国の原発が世界の理解を得ることははなはだ困難であるように思えます。

それ以前に、我が国の、原子力関係者以外の理解を得ることも難しいのではないでしょうか。そのあたりに、我が国の原発を巡るこんがらがった現状の元があるのではないかと思いますよ。


加藤洋行

瀬尾 雄三

>薄めて流すことが一般的に許容されるのであれば、

IAEAが処理水の濃度に基準を設けているということは、「許容されている」ということでしょう。瀬尾さんがどう思うかは別問題です。


加藤洋行

瀬尾 雄三

>核のゴミにしたところで、微細化し、液化して、薄めて流せばよい。

まさに「ミソクソ一緒」ですな。


瀬尾 雄三

加藤洋行 さん

> まさに「ミソクソ一緒」ですな。

ミソも流せばクソと一緒。

腐敗と発酵は、自然現象としては、何の違いもないのですね。

ただそれが、有益なのか、有害なのか、が違うだけ。


これに関連するツイッターのスレッドに返信を入れておきました。

1 thoughts on “小宮山洋子氏の4/16付けBLOGOS記事「原発処理水、海洋放出決定 柏崎刈羽運転禁止」へのコメント

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