PRESIDENT Online(唐鎌大輔氏)の2/22付けBLOGOS記事「日本人はますます貧乏になる…『経済より命』」という情緒的なコロナ対策に日本経済は潰される」にコメントしました。
経済を重視して国民の一部の命を犠牲にするという考え方は、優生思想と同根の考え方であり、今日の政策としては成り立ちません。
経済はもちろん重要なのですが、第6波の死者数は過去最大で深刻な状況です。致死率は低いものの、強力な感染力故の感染者の数がこれを凌駕して、死者数も増えている。
高齢者に感染させずに若者中心に経済を廻せば、という理屈はあるものの、現実にはできていない。現実の姿を見れば、経済への影響は受け入れるしかありません。
コメントがついております。
岡本 真行
お年寄りなど健康弱者をAとし、健康強者をBとしますと、
A対B→100対0にしますと、ロックダウンをずっと解けないとか大変になりますので、結局はさじ加減の問題ではないかと。
しかしA対BでBの秤にさじで何か入れるための理論みたいなものが日本には少ないんですよね。
瀬尾 雄三
岡本 真行 さん
経済的弱者に救いの手を差し伸べる場合も同じような議論になります。この時、行き倒れるのも自己責任、とは言えないのですね。
結局のところ、論拠は基本的人権に求めるしかなく、すべての国民に生存権を認めるというところが出発点になるはず。
新型コロナではすでにかなりの数の死者が出ておりますから、その救済が最優先ということになるのではないでしょうか。
加藤洋行
基本的人権をいうなら、若い人の人権も大事なはずなのに、なぜか高齢者の人権を優先させる。なぜなんでしょうね。
瀬尾 雄三
加藤洋行 さん
若い人の人権も大事ですよ。
でも、お金と命とどちらを優先するかとなれば、それは命ということになる。
単純な話です。
加藤洋行
申し訳ないが、同じ命でも若い人の命のほうが大事だと思いますよ。
加藤洋行
なんだろうな。高齢者って人生経験が豊富な分、いろいろなことを知っていると思うのだが、そうでない人もいるんですよね。端的にいうと全体最適よりも部分最適を優先する。要するに自己中心的で社会性がないのだと思います。生まれたときから。
瀬尾 雄三
加藤洋行 さん
若い人の命は、コロナではほとんど奪われていないのですね。もしもこれが、経済的理由による自殺を防ぐために、配慮をせよという主張であるとしたら、むしろそのような考えが、経済的な理由による自殺を助長してしまうということを指摘しておきます。
もしもある人が高いビルの屋上から「借金をチャラにしなければ、俺はここから飛び降りる」と叫んだら、その要求にこたえるべきでしょうか。
瀬尾 雄三
続きです
もしそんなことをしたら、似たようなことをやる人が次々と出てくることでしょう。そして、そうせよと主張したりすることも、このような行為を助長してしまう。
経済的理由による死を防ぐには、自殺を防ぐのではなく、飢え死に、凍死などを防ぐことに限定すべきです。経済的理由による自殺の多くは、生活水準を落とすことを嫌うが故、世間の目を恐れてのことなのではないでしょうか。
死者を鞭うつようなことははばかられるのですが、自殺に関しては、社会的に対応すべきものとそうでないものがある。この点に気を付けなくてはいけません。
瀬尾 雄三
加藤洋行 さん
> 申し訳ないが、同じ命でも若い人の命のほうが大事だと思いますよ。
この考え方を敷衍すれば、精神病患者の命はどうするか、という問いにたどり着くし、有能な人と無能な人とどちらを救うべきかという議論も起こるだろうし、お金を多く稼ぐ人と少ししか稼げない人のどちらを優先すべきかという話にもなる。
そういうご主張でしょうか? それも、歴史的に、なかったわけではないのですが、、、
花の ヤン
加藤洋行 さん
<端的にいうと全体最適よりも部分最適を優先する。要するに自己中心的で社会性がないのだと思います。>
横からで申し訳ありませんが、この考え方は優生思想に該当する点で支持できませんね。
といいますか、本当にやるべきどうか怪しい「経済を回すため」のために、わざわざ人の生命に優先順位をつけてしまうのは、最初の発想から間違っているように思えますね。
私からすれば「本当に他の選択肢がなかったのか?」と思ってしまうわけですよ。加藤洋行
>横からで申し訳ありませんが、この考え方は優生思想に該当する点で支持できませんね。
若者の人権よりも高齢者の人権を優先しろというのは、優生思想なのではないんですか?
岡本 真行
実際には「高齢者などを見殺しにするか否か」みたいな切迫した議論の段階ではなく、「日本でコロナを五類にするか否か」くらいの話です。
五類にするだけなら、高齢者の入る病床をうまくいけば多く開け得る可能性もあり(逆に減るという論者もいますが)、議論の余地のあるところです。
若い人たちがやたらと焦っているのは、国の富で中韓に大きく差をつけられるかもと恐れているからでは?
たしかにそうなったらいらぬ戦乱につながる危険もあります。加藤洋行
>若い人の命は、コロナではほとんど奪われていないのですね。
そういうことではないです。コロナ死亡者のデータを見るとわかるが、コロナで亡くなった高齢者は、ほとんど平均寿命近辺で亡くなっています。そういう人の寿命を延ばすために若い人の行動を制限するのはどうなんだ、というのが私の意見です。こんなに自己中心的で社会性の欠けた意見が瀬尾さんのような高齢者から出るのは正直、驚きです。そりゃあ、若い人から尊敬されないだろうな、と思うわけです。
加藤洋行
あと、あれですね。「命も経済に支えられている」ということに、なぜ気がつかないのでしょうか。端的に言って、おカネがなければ医療機関を維持することはできないですよね。そのおカネはどこからか自然に湧いてくると思っているのでしょうか。医療機関を支えているのも現役世代の経済力ですよ。その現役世代を痛めつけて、高齢者にどんな得があるのでしょうか。
加藤洋行
>五類にするだけなら、高齢者の入る病床をうまくいけば多く開け得る可能性もあり(逆に減るという論者もいますが)、議論の余地のあるところです。
この点でいうなら、効果の証明できないマンボウや宣言を一切やめて、飲食店への協力金を全部、医療に回したほうが、よっぽど高齢者の命を救えると思います。
花の ヤン
加藤洋行 さん
<若者の人権よりも高齢者の人権を優先しろというのは、優生思想なのではないんですか?>
おやおや、権利は老若関係なく平等ですよ。
何か勘違いをされていませんか?<<「命も経済に支えられている」ということに、なぜ気がつかないのでしょうか。>
「命も経済に支えられている」は正しいと思いますが、「命の選別」は間違っていると思いますよ。
必要がないのに、何故わざわざ究極の選択みたいな主張をするのか私には理解できかねますね。それに、経済を回すためにコロナの蔓延を放置する主張については、優生思想という点だけではなく、医療インフラが崩壊すること、高齢者だけでなく少なからず若年者も危険にさらすこと、コロナ病禍にかかる国民のストレスが増加すること、などから経済効率がむしろ悪くなると思いますよ。
誰が言い出したことか知りませんが、経済を回すためにコロナの蔓延を放置する意見はアイディア倒れに終わる駄策だと思います。
もしかしたら、加藤洋行さんには「冷酷だが合理的な素晴らしい案」のように見えているのかもしれませんが、補助金をバラ撒いて経済を維持する政策の方がまだマシのような気がしますね。花の ヤン
岡本 真行 さん
<実際には「高齢者などを見殺しにするか否か」みたいな切迫した議論の段階ではなく、「日本でコロナを五類にするか否か」くらいの話です。>
私もそれが有効なのか考えてみたのですが、やっぱり五類への分類替えではコロナが蔓延するような気がします。
医療インフラが限界となっていますので、現行の制度下では二類のままの方がマシだと思います。瀬尾 雄三
加藤洋行 さん
社会福祉に要する資金をいかに確保すべきかという点は、個々の権利(生存権の他、所有権なども)を認めた上、税制をどのように組むか、という問題なのですね。
これに対して『全体最適化』といった怪しげな概念で個々の権利を否定してしまうのは、ポルポト主義や文化大革命とも通底する危険な思想です。ひっくくれば『全体主義』なんですね。
まあ、ヤマギシズムのようなものに、個人が自由意思で参加することまでは否定いたしませんが。
岡本 真行
「経済先進国」であれば、基本的人権を守りきることが義務なので高齢者の生存権は無視できません。
ですがコロナひとつで「経済先進国」でなくなってしまうほどダメージを受けるという想定でしたら、基本的人権そのものも危うくなります。
そこまでの前提で考えるか否かという問題に過ぎないように思います。(経済先進国ではないアフリカの小国などでは、老人より若者を優先でノーガード政策と議論で決めているところなどもあるかもしれません)
今後の景気にもよりますが、コロナ以外のところで景気回復できる方法を考えるべきかと。加藤洋行
結局、コロナ脳は視野が狭い、社会性に欠けている、これに尽きると思います。
岡本 真行
「交通事故に遭うかもしれないからおつかいには行かない」とか「通り魔がいたら嫌だから外出しない」とか言い出す極端な安全主義の人は、情緒的すぎて社会性のない人というしかないですが、コロナは……
健康弱者とそれ以外の分断、高齢者とそれ以外の分断、など分断を煽る構造がついているのでその危険にも注意しないといけない。インフォデミックといわれる所以ですね。加藤洋行
岡本 真行
自主的に外出しないのは自由なんだが、問題はそれを他人に押し付けることです。「無症状の感染者からも感染が拡がる可能性があるから外出するな」という人がその典型。ここに来て、マンボウや宣言にどれだけの効果があるのかと言われているのに、そういう疑問を持たない。2年前には「ロックダウンしろ」みたいなことまで言っていた。人権意識も欠落しているんですね。
加藤洋行
岡本 真行
「分断」とはちょっと違うと思います。元々社会性に欠けていたのです。他人の人権を意識しない自己中心的な人物だったのです。生まれたときから。それがコロナで顕在化したというべきでしょう。うちのマンションにも3回目のワクチン接種を終えた高齢者がいるが、孫の世代にワクチンを打たせるべきだろうかと真剣に悩んでいます。それが普通の人間でしょう。
花の ヤン
岡本 真行 さん
<ですがコロナひとつで「経済先進国」でなくなってしまうほどダメージを受けるという想定でしたら、基本的人権そのものも危うくなります。>
別に、それで経済先進国でなくなっても構わないと思いますよ。
人命より経済先進国という肩書の方が大事だという発想には同意しかねますし、生きていれば挽回するチャンスはいくらでもあるはずです。といいますか、人流を抑制しても機能する経済体制を構築する努力をする方が建設的な発想だと私は思いますけどね。
<「交通事故に遭うかもしれないからおつかいには行かない」とか「通り魔がいたら嫌だから外出しない」とか言い出す極端な安全主義の人は、情緒的すぎて社会性のない人というしかないですが、コロナは……>
そりゃあ、「交通事故に遭うかもしれないからおつかいには行かない」や「通り魔がいたら嫌だから外出しない」と比較すれば、コロナウィルスの方がはるかに確率が高い脅威ですからね。
そもそも比較対象が間違っていますよ。花の ヤン
加藤洋行 さん
<結局、コロナ脳は視野が狭い、社会性に欠けている、これに尽きると思います。>
おや、最初の煽り文句に戻るわけですか。
しかし、私は「それに、経済を回すためにコロナの蔓延を放置する主張については、優生思想という点だけではなく、医療インフラが崩壊すること、高齢者だけでなく少なからず若年者も危険にさらすこと、コロナ病禍にかかる国民のストレスが増加すること、などから経済効率がむしろ悪くなると思いますよ。」と理由を述べて、「経済を回すためにコロナの蔓延を放置する」主張に同意しかねることを表明していますよ。 これのどこが「視野が狭い、社会性に欠けている」ことになるのか、説明が欲しいものですね。それに、むしろ「経済を回すためなら、いくら年寄りが死んでも構わない」と主張する方が社会性に欠ける主張だと思いますよ。
誰かに犠牲を強いる時点で社会としての成り立ちを放棄していると私は思います。
まして、他人の生きる意志を踏みにじるような社会が民主的であるとは私には思えません。といいますか、その必要もないのに「経済を回すためなら、いくら年寄りが死んでも構わない」「全体最適を優先するため、高齢者を犠牲にする」というような発言するのは自己陶酔の類だと思いますね。
つまり、「全体最適を優先するため高齢者を犠牲も厭わない、そう主張する自分は感情に惑わされずに合理的な判断ができる優秀な人間だ」と言いたいのでしょう。
一言で言えば「中二病」ですね。そういえば、維新の会の「身を切る政治」「身を切る改革」も中二病っぽいフレーズですね。
岡本 真行
花の ヤン さん
私の今回の話の中ですと「生活保護制度」を維持できる程度の経済力があるのが経済先進国というイメージです。
名前だけではなく、日本が明治初期レベルまで経済力が落ち込むと、生活保護や各種保険金などで国から支給できる額も相当落ち込みますので、相対的に「人権を守れる度合いが少なくなってしまう」と考えます。そこまでいったらもう経済先進国とはいえない国だよね、ということです。花の ヤン
岡本 真行 さん
<私の今回の話の中ですと「生活保護制度」を維持できる程度の経済力があるのが経済先進国というイメージです。>
なるほど、これは面白い考え方ですね。
参考になりました。しかし、私の認識では生活保護の維持とは政府の考え方次第だと思いますよ。
いくら財政が豊かであっても政府にその気がなければ生活保護制度を維持しようとはしませんし、逆に政府がその気になれば赤字財政を増やしてでも生活保護制度を維持しようとすることでしょう。とは言っても、私は欧州のような給付型福祉には懐疑的ですけどね。その理由は、給付型福祉では生産がないからです。
その点では、ベーシックインカムについて私は否定的見解です。
思うに、生活保護制度をやるくらいなら「完全雇用+終身雇用」の方が効率的ではないでしょうか。加藤洋行
>これのどこが「視野が狭い、社会性に欠けている」ことになるのか、説明が欲しいものですね。
視野が狭い=「たとえ1でもゼロではない」みたいな考えになるところ。高齢者の重症化率しか見ていないところ。インフルとの比較ができないところ。超過死亡という概念がないところ。マンボウや宣言に効果があると思っているところ。社会性に欠けている=大学に入ったが、オンライン授業のため友達のできない学生や、アルバイトができなくて学費の稼げない学生を可哀想だと思わないところ。
花の ヤン
加藤洋行 さん
<視野が狭い=「たとえ1でもゼロではない」みたいな考えになるところ。>
そりゃあ、個々の個人からすれば「たとえ1でもゼロではない」という発想になりますからね。
個々の人間だってちゃんと知性がありますから、その程度のことくらい考えるしそれで不安になったりするわけですよ。
そうした個々の人物がどう考えるのかが想像できる人こそ社会性がある人物だと思うのですが、いかがでしょうか?<<社会性に欠けている=大学に入ったが、オンライン授業のため友達のできない学生や、アルバイトができなくて学費の稼げない学生を可哀想だと思わないところ。>
おや、その程度のことが社会性なのですか。
友人のことなら一時的なことですからコロナ感染の危険を犯してまでやることではありませんし、学費のことなら政府等が援助すればいいだけのことでしょう。
わざわざコロナ感染するようなことをして命を危険にさらす必要はないと思いますね。加藤洋行
花の ヤン
ヤンさんも瀬尾さんと同じく高齢者なのですか?
加藤洋行
>学費のことなら政府等が援助すればいいだけのことでしょう。
こういう、なんでも政府に頼るところが、高齢者っぽいですよね。
花の ヤン
加藤洋行 さん
<こういう、なんでも政府に頼るところが、高齢者っぽいですよね。>
若者にコロナ感染のリスクを冒してまでバイトさせようとするよりはマシですよ。
どういうブラック気質なんですか。<ヤンさんも瀬尾さんと同じく高齢者なのですか?>
たぶん、瀬尾さんはそんなに歳をとっていないと思いますよ。
アイコンの写真に騙されてはいけません。ちなみに、私のキャッチフレーズは「永遠の少年」です。
岡本 真行
結局、「コロナで今死んでいる高齢者は、コロナがなくてもほぼ同じ時期に他の病気などで死んでいただろう」「コロナがあるからこそ死んでいたという人の数は、通り魔や交通事故の犠牲者と同じ程度」という認識の人も世間にはいて、そういう視点で見ればコロナの自粛は馬鹿らしいものに見えることでしょう。
政治を考えるには全体を見る視点と個々を見る視点の両方が必要で、個々だけ見ているのみでは片手落ちであることも確かかと。
『コロナ固有の怖さをどの程度と見積るか』『自粛などは効果があるのか』のふたつ次第で意見が変わるのはわかります。加藤洋行
花の ヤン
ヤンさんや瀬尾さんが徹底的に外出自粛をして、他人との接触を極限まで減らすという方法じゃダメなんですかね。どうしても仕事や病院に行かなければならない状況がありますか? だったら他人に外出自粛を強要するのは、おかしいですよね。自分たちのできないことを他人に押し付けているわけですから。それこそ自己チューですよね。
加藤洋行
ちなみにボクは徹底的に外出自粛をしているので、誰かが繁華街をうろついていても全然関係ないという立場です。若い人は重症化しにくいので、アルバイトも学業も遊びも恋愛も、どんどんやればいいという立場です。外出しないボクには全然関係ないことです。
加藤洋行
岡本 真行
マクロとミクロの視点の違いということですよね。ただ、ヤンさんたちはそれとも違うようです。コロナしか目に入らない。コロナ以外の病気で亡くなる可能性を認識できていない。コロナ脳がいよいよコロナ教という宗教になってしまったようです。
加藤洋行
>ちなみに、私のキャッチフレーズは「永遠の少年」です。
「永遠に成長しない」という意味ですか?
加藤洋行
「生まれたときから、視野が狭く、社会性に欠けている」というのは当たっているようですね。
加藤洋行
加えて「頭がそれほど良くない」。コロナの後遺症を気にするなんて、完全にマスコミに踊らされている。オミクロン株に感染した芸能人で「後遺症がひどかった」と言っている人、いますか?
花の ヤン
加藤洋行 さん
<「永遠に成長しない」という意味ですか?>
そんな場面もあるかもしれませんね。
永遠の書生気質と言い換えても構いませんよ。まあ、誰かさんのような「中二病」とは違うと自負していますけどね。
<ヤンさんや瀬尾さんが徹底的に外出自粛をして、他人との接触を極限まで減らすという方法じゃダメなんですかね。>
それは防疫体制に大穴が空きますから駄目ですよ。
それに、数が少ないとは言え若年者でも重症者や死亡例があるわけですから、「若年者を積極的に危険にさらす」という点で支持しかねますね。といいますか、若者を気遣っているような文面で「若年者を積極的に危険にさらす」という若者に過酷な主張をしているのは、文章としては面白いのですけど人道的にはどうかと思いますね。
<オミクロン株に感染した芸能人で「後遺症がひどかった」と言っている人、いますか?>
芸能人限定ですか。 ひょっとして自信がないのですか。
ちなみに、芸能人ではないですがこんな記事がありました。
(オミクロン株を「軽症」と侮るな! 後遺症続々、治っても続く謎の咳と喉の痛み2/10(木) 9:06配信)
「オミクロン感染由来と思われる後遺症を患う方を、今年1月以降21人診てきましたが、うち5人が週の半分は自宅で横になっている『準寝たきり』状態です。年齢は10~40代と若い方ばかり。酷い症状だと、指一本動かせません。」加藤洋行
>若者を気遣っているような文面で
それはヤンさんのほうでしょう。ボクは若者でも高齢者でも好きにすればいいという立場です。ヤンさんのように他人に何かを強要する人は、人権意識が欠落していると思っているだけです。
加藤洋行
とにかく、自分たちができないようなことを他人に押し付けるのはやめてください。
花の ヤン
加藤洋行 さん
<ヤンさんのように他人に何かを強要する人は、人権意識が欠落していると思っているだけです。>
おや、今度は自由意志の問題に移行するわけですか。
しかし、私の方もそうしたレトリックの組み立てなら少しばかり自信があるんですよ。 こんな感じです。「コロナで死にたくない」「健康でありたい」という人たちの意志を実現するには、ある程度の人流抑制が必要です。
したがって、「ボクは若者でも高齢者でも好きにすればいい」は自由意志を尊重するような言い方ですが、「コロナで死にたくない」「健康でありたい」という人たちの意志をコロナ蔓延により踏みにじってしまうわけです。この場合に、私は「ボクは若者でも高齢者でも好きにすればいい」よりも「コロナで死にたくない」「健康でありたい」の方が深刻な問題であると考えるわけですが、加藤洋行さんは違うわけでしょうか?
そういう思想が出てくるのはしょうがないね。
一見するとうまくいきそうに見えるからね。