田村和広氏の7/14付けアゴラ記事「山口二郎氏は本当に『叩き斬ってやる』と言ったのかを検証する」へのコメントです。
これは、比喩的表現であり、比喩になっていないというなら、隠喩、メタファーと解釈すべき言説であって、言論の自由の範囲内であると、私は思いますよ。
もちろん、この手の発言をする人の、思慮の浅さ、文化的レベルの低さ、人格的卑しさなどを感じるのも、聞く側の自由であって、おそらくは多くの人がそう感じるから、現在の自民党の独走態勢ができてしまっているのでしょう。
弁論術におけます一般的抽象的な議論として、バカを泳がせておくのは、とても有効な戦術です。普通の言葉では、「相手にしない」といいまして、至極一般的に行われているのですね。
反論しないからといって、それを認めているわけでもなく、気にする必要もありません。
返信がついております。
野崎晃一
はじめまして。
>バカを泳がせておくのは、とても有効な戦術です。泳ぐ世界の状況認識ですが、その言論の自由は侵されつつあるでしょう。
同じ文言でも発する人間によりメディアの対応、左派の反応、対応は異なる。
その具体例、ソースは割愛しますが、この山口氏の発言を保守系の人間が発したらどうなるか、です。
泳がせておく海は天気晴朗なれど波高し、ではないということです。
そして天気、大気、空気は意図的にコントロール、形成されています。誰に? 左派、リベラルにです。山口氏の発した言葉や、アベノセイダー アベシネの言葉の集積は社会にある空気を形成する。
その影響が今般のテロに影響したか否か相反する主張がなされています。
その評価はどうあれ様々に影響があります。この空気の形成により日本はすでにある種の発言、表現は出来ない状況にある。
そしてさらに深刻化すると考えます。空気に関しては故山本七平しの著書が有名ですね。
この空気を、故小室直樹氏はルールーオブニューマの形成と称しました。
今言うKY、空気が読めないの空気、又同調圧力も同じくです。イエス、キリストの言葉、言わせておきなさい。
とは次元の異なる問題です。野崎晃一さん
>: 山口氏の発した言葉や、アベノセイダー アベシネの言葉の集積は社会にある空気を形成する。
> この空気の形成により日本はすでにある種の発言、表現は出来ない状況にある。空気には、全地球を覆う大気圏みたいな空気もあれば、風通しの悪い小部屋の空気もある。上の言で形成されている空気は、リベラルと自称する人たちの集う閉鎖空間の空気じゃないでしょうか。
それが外部に漏れてくると、人々は鼻をつまんで顔をそむける。それがこの山口氏の言説に対する世間の反応というものです。まあ、中には腐臭を好む人だっているかもしれませんけど、、、
水清くして不魚住。この世界には、愚か者や礼儀知らずだって存在を許されるべきだと思いますよ。それを嫌うのも普通に許される行為であるとして、なのですが。
ちゃ~ん、ちゃ~ん、ちゃ~ん、ちゃらちゃちゃらちゃちゃらちゃちゃらちゃちゃ~ちゃ~ちゃ~ちゃ~ん。