長谷川良氏の10/6付けアゴラ記事「量子物理学と形而上学を繫ぐ科学者:『量子もつれ』でノーベル賞」へのコメントです。
人はコミック誌の中に、豊かな物語を見出し、喜怒哀楽を見出して「萌え」たりしている。そこにあるものは、セルロースとインクだけだというのに、、、
デカルトは、存在には二つのあり方があると言います。「拡がり」としての実在と「属性」としての実在ですね。
拡がりとしての実在は、不可侵性、つまり、モノがそこにあると他のものが入っていけないという意味での実在で、触ってみればすぐわかる。これに対して、属性としての実在は、色や温度のような、人が感じ取ることによって明らかになる存在であるというわけです。
「神は属性として存在する」とデカルトもどこかに書いていたはずなのだが、ちょっと見つかりません。でもそう考えますと、コミック誌のキャラクターや物語と神は同じ存在のしかたをしている。そして、人間の心や自由意思も、じつは同じものではないか、と私は感じております。
もつれもつれ