アゴラブックレビューの10/27付けアゴラ記事「民主的な社会がうまくいかない不穏な理由:『バカと無知』」へのコメントです。
昔、ネットの炎上について研究していたころ、『馬鹿』という言葉が発せられたとき、高い確率で炎上が発生することに気付き、『馬鹿』に関する研究もしたのですね。
この世界での古典的名著がホルスト・ガイヤー著「馬鹿について/人間――この愚かなるもの」で、馬の馬鹿は病気とみなされるが人間の馬鹿は病気とみなされない、それどころかある場合には望ましい特性ともされる、と書いているのですね。
で、このお話をある人にしたとき、「フォレスト・ガンプですね」といわれてしまった。ホルスト・ガイヤー確かに音が似ているし、あの映画も、馬鹿が認められ尊敬され、幸せに暮らす物語ともいえる。
カントからゲーデルに至る今日の知性は、理性の限界を知ってしまった。また、鈴木大拙氏が高く評価する妙好人(無学だけど正しく生きる人)や、法然和尚の一枚起請文など、禅の世界は知識のないことも高く評価する。馬鹿と利口の二分法で世の中を割切ることも難しい。複雑な世界に我々は生きているのですね。
ところでこの研究の過程で、標題に「馬鹿」とつく書物はベストセラーになりやすいことに気付きました。馬鹿につける薬、ウエブはバカと暇人のもの、バカの壁、馬鹿は最強の法則、、、この本も、ベストセラーになるかも。まあ、例外は、サルトル著「家の馬鹿息子-1、-2,-3,-4,-5」。さすがにこの大著を今の時代に読む人は少ないと思いますが。
アルジャーノンに花束をが好き