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メディアの崇高な使命、2種類

高橋克己氏の10/29付けアゴラ記事「玉川発言問題の本質」へのコメントです。


我が国の大手マスメディアは、人民日報やプラウダと同様、ある種の政治目的を意識して作られている、ということですね。

このような行為は、必ずしも悪と認められているわけではありません。つまり、左翼運動の中では、使える手段は何でも運動に使うことが是認されている。新聞など、まさに、左翼運動の広報手段として最適なものなのですね。

なにぶん、たいていの政治団体が新聞を発行している。赤旗や聖教新聞が代表的ですけど、新左翼の各派もそれぞれに新聞を出しておりました。政治目的が正しいものであるなら、これを広く世に伝えることもまた正義、ということになります。

もちろん、その他に、ジャーナリズムにはジャーナリズムの使命があると考えている人たちだっていないことはないでしょう。つまりそれは、真実の伝達ということで、大衆を信じるなら、真実の伝達こそが報道機関のなすべきことです。

まあ、左翼諸派や「リベラル」の啓蒙家にとっては、自分たちの知識レベルに比べて大衆のそれははるかに下にあり、彼らを正しい道に導くことこそ自らの使命だということなのでしょう。それを鼻持ちならないエリート意識だと思う人は多いでしょうけど、これを簡単に否定することも難しい。これが現実の姿だと思いますよ。

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