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病める知性体

濱田康行氏の12/23付けアゴラ記事「経済至上主義の終焉:廣田尚久『ポスト資本主義としての共存主義』」へのコメントです。


おもしろい考え方です。ソフトウエアの世界では、LinuxやWikipedia、あるいは様々なフリーソフトに関して、ネットを介しての人びとの協調作業が認められます。これを「集産主義(コレクティヴィズム)」とみなす考え方があります。

ここでいう集産主義とは、かつての農村のように、人々が共同して様々な作業をする社会関係で、日本テレビが放映していた「ザ!鉄腕!ダッシュ!!」のダッシュ村の作業風景などでおなじみのものです。今日では、ユーザーズグループやファンクラブ、同人の世界などにこのような関係が認められます。

ネットを介した集産主義は、コンテンツやソフトウエアのような、コピーによりいくらでも増やせるモノを生み出す作業だから成り立つという側面があります。コミュニティに価値を提供した者は、さしあたり、人々の尊敬を勝ち得、自己を確立するという無形のリターンを得るわけですね。

もう一つのプラス面は、三人寄れば文殊の知恵、多くの人が情報を提供し合うと、これにより新たな知恵が生まれる。単純な脳細胞が多数集まるとそこに知性が生まれるように、多数のコミュニケートする人々が新たな知性をうみだす。これは「集合知」と呼ばれる現象ですが、昆虫の世界でも「群知能(スウォーム・インテリジェンス)」などと呼ばれる、集団的知性が認められております。

これを拡張して考えると、じつは人類全体が一つの知性体として活動していると考えることもできます。これを人の脳と対比すれば、個人が一つ一つの脳細胞に対応し、コミュニケーション手段がインパルスを伝えるニューラルネットワークに対応する。そして、人々に共有される客観が個々人の主観に対応いたします。そして恐ろしい点は、この知性、ちょっと病んでいるようにも見えるということ。まあ、あまり考えないようにいたしますが、、、

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